特別国会が召集され、午前8時から衆議院正門が開けられ、テレビを見ていると初当選の人がいち早く登院しているようである。
 私も昭和58年12月26日、初登院したことを想い出しながら、娘鈴木貴子は3期生としての登院で、3期生でも31歳、国会最年少議員である。
 私が3期の時は平成2年で41歳だった。私より10年も若いことにこれから先しっかり精進し、子育ての中から思いやりや慈しみや愛情を身に着けてほしいと願ってやまない。
 政治の世界、他人(ひと)に支えてもらっての勝負である。本人がいかに能力があろうとも応援してくれなければ砂上(さじょう)の楼閣(ろうかく)である。
 3期生は政治家としての分岐点であり、まさに新しいステージに立った鈴木貴子である。一層の努力、頑張りをして、鈴木宗男を超えてほしいものだ。
 鈴木貴子の登院を見ながら一つ申し訳ないことがある。
 鈴木貴子は「親娘(おやこ)で国会に出て北方領土解決、明日の日本を創る北海道にしたい。政治は弱い人の為にあることを実践したい。親娘で働いて故郷に社会に恩返しをしたい」が夢だとよく言っていた。
 それが実現できなかったことは私の責任である。親として政治家の先輩としてこの点、悔いが残る。
 私はよく「運」という字をなぞるが、運は「軍(いくさ)」が「之(はしる)」と書いて運である。闘っていれば明日があると信じ私は生きて行く。その時は必ず来る。真っ直ぐ前を見て歩んで参りたい。
 読者の皆様、今後とも宜しくお願い致します。