昨日(9日)、色丹島に予定通り上陸し、7時半(現地時間9時半)から穴澗(あなま)村文化会館で歓迎式。
 メトコ穴澗村長が挨拶の中で「1994年北海道東方沖地震の時、今日来ている鈴木宗男氏に学校、診療所等、大変お世話になった」と言及された。
 23年前の出来事だが、時間が経っても忘れていない色丹の皆さんの人情に感激した。
 南クリル地区のザジラコ副行政長がわざわざ国後から来て歓迎式にも出席されており、島側の配慮を感じた次第である。
 穴澗(あなま)村、斜古丹村の街はいまだ舗装がなく、日本の出る余地はあると思った。
 斜古丹で一つ目についたのは新しく作られたスポーツ施設「色丹アリーナ」である。
1階はバスケット・バレーコート、2階はレスリングマット・筋トレ・ランニングマシーンがあった。
 今年オープンしたとのことだが、着実に南クリル社会発展計画は実行されている。
 共同経済活動にも関心を持っており、ホームビジット先ではIT等、日本の製品を買いたい、売ってほしいという希望があった。
 共同経済活動実施を機に、日本の資材、製品を直接取引するようにしなければとつくづく思った。
 建築は韓国の業者が行っている例が多いが、日本が出てくることに島の皆さんは期待している。
 そろそろ北方四島に対する閣議了解はじめ、さまざまな規制を考える時期にきているのではと思ったものである。
 穴澗(あなま)中等学校記者クラブよりインタビューがあり、どうして政治家になったのか。娘さんも政治家ですが鈴木先生の影響ですか。四島の共同経済活動についての先生の考えは等々質問を受けた。
 色丹島でも話題になっていることは有難いことだった。