あの日航機墜落事故から今日で32年になる。
 昭和60年、私は帯広で町内会の盆踊りに参加していたら「飛行機が墜落した」というニュースが伝わってきた。当時、代議士に当選し3年目で、北海道と東京を行き来するのに飛行機を使う者として、他人事(ひとごと)でない思いでいたことを思い出す。
 朝7時30分羽田発の大阪行きに乗り、富士山を右に見ながら、飛行の安全、安心を願ったものである。
 「ボーイング社の修理ミスは、米紙の報道で明らかになった。現場入りした米調査団が痕跡を見つけていた。日本側にも伝えていたが、情報は公表されなかった。今も昔も『捜査優先』の官民の口は重い。どこか当然と思ってきたが、再発防止の原点に立ち返ると違う景色も見えてくる(洋)」(東京新聞19面こちら特報部デスクメモ)という記事を読みながら犠牲になった方々が一番無念に思うのではと、つくづく感じたものである。あわせて奇跡的に助かった人は元気でいるのだろうか、と脳裏をよぎった。
 甲子園球場に行き、第1試合の北北海道代表滝川西高校と第3試合の南北海道代表北海高校の応援をする。
 滝川西高校は、強豪・仙台育英高校を相手に、はつらつとしたプレーを展開したが、甲子園の雰囲気にのまれ、4エラーで自滅してしまった。しかし、堀田将人主将の選手宣誓は見事であり、北北海道代表としての役割は十分果たした。
 北海高校には、松山千春さんのマネージャー井上さんの息子さんが出ており、昨年決勝まで行きながら涙をのんだ。今日こそはと期待して応援した。
 強豪ひしめく兵庫代表だけあり、神戸国際大附属高校はしたたかなゲーム展開で、残念ながら戦敗退だった。
 北海高校は、昨年の準優勝校に相応しい堂々たる試合ぶりだった。勝負の世界、ちょっとした隙やミス、あわせて目に見えない何かがあるものだとつくづく思った。
 一年ぶりの甲子園は、なんとも言えぬ場所であった。球児の健闘を祈りたい。