日本相撲協会は番付編成会議と臨時理事会を開き、関脇高安の大関昇進を満場一致で決めた。
 昇進伝達式で高安新大関は協会の使者に「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」と述べている。喜びと感激と感謝の気持ちを込めての口上だったことだろう。
 若い頃、部屋から何度も飛び出し、その度にお父さんが説得したとも言われ、また、中学時代の校長先生も愛情を込めて諭したと報道されている。
 平成生まれの初の関取として話題になり、しかし上位の壁にぶつかり低迷した時期もあったが、ここで大きな転機は兄弟子稀勢の里の存在である。
 稀勢の里が大関になり、そして横綱へと駆け上がっていくと高安も自然に力が付き安定して行った。それは2人による猛稽古である。
 かつて千代の富士が横綱になった時、弟弟子北勝海が頭角を現し、この2人の稽古は言葉にならないほどの激しいものだった。
 押し相撲に分の悪い千代の富士は、北勝海によって押し相撲対策を覚えた。一方、北勝海は四つ相撲への対応を覚えた。
 そして同部屋で2人横綱が誕生し、昭和61年から平成3年3月まで千代の富士と北勝海(現八角理事長)で優勝争いをしたものである。
 田子ノ浦部屋で稀勢の里と一緒に高安が綱を張ることになれば、国技大相撲は今よりももっと大きな人気を得ることだろう。
 どの世界でも身近にライバルがいて成長するものだ。新大関高安の一層の頑張りを期待したい。