今日の朝日新聞朝刊15面「耕論 オピニオン&フォーラム 相手の話、聞こうよ」「国会を見ても身のまわりにも、海の向こうの米国でも、人の意見を聞かずに自分の言いたいことだけ言う人、増えていませんか? 深呼吸して、相手の話を聞き、対話する。そんなことから始めませんか。」の欄に佐々木憲昭前衆議院議員のインタビュー記事がある。

 

記事の中で1996年から18年間の議員生活で、橋本龍太郎さんから2回目の安倍晋三さんまで10人の首相に質問しました。
 国会の予算委員会で、首相と向き合うときには武者震いするような緊張感を覚えます。橋本さんから福田康夫さんまで、多くの首相とは意見が違っても議論を重ねるうちにかみ合ってくる感じがあった。厳しく議論するほど気心が知れ、お互いに尊敬の念が芽生えたように思います。

 小泉純一郎さんには2002年2月の予算委で鈴木宗男氏の疑惑を追及した時、『よく調べているなと感心した』と答弁いただきました(笑)。敵ながらあっぱれと。違う立場でも対話は成り立ちます。

ところが安倍さんは、質問にまともに答えないことが多い。」と出ている。

総理大臣は時として大したことがないと思う質問を聞いたふりし、話を合わせたりする。その点、佐々木氏は自民党の歴代総理を良く知ってない。

安倍総理はよく話を聞いた上で自分の考えを述べている。安倍総理の方が正直にかつよく相手の話を聞いている。佐々木憲昭氏の質問にまともに向き合った総理はいなかったと思う。

 この記事の中に鈴木宗男の名前が出てきたので事実、真実を述べたい。まさに「相手の話、聞こうよ」のタイトルに応えるためにも。

 平成14年2月20日衆議院予算委員会に私は参考人招致された。その時、佐々木憲昭氏は「ムネオハウス」という表現をした。全くの造語で国後島に人道支援で建てた「日ロ友好の家」が正式名称である。

 この入札にあたり頭から佐々木氏は私が入札のルールを捻じ曲げたという頭作りでの質問だった。外務省からの正しくない情報をもらい、それに基づいた質問だった。佐々木憲昭氏が入手したのではなく外務省が送ったものだった。そのことは当時、鈴木宗男追及の一員であった筆坂秀世さんが後に講演や様々な場で話をしている。

 佐々木憲昭氏が自分で資料を集め質問するならいいが、あの当時何でも悪いのは鈴木という世論バッシングの流れの中で外務省が共産党にサービスしたと聞いている。

 「ムネオハウス」については佐々木憲昭氏が勉強不足、歴史を知らないがゆえの質問である。

 それは外務省と北方領土返還運動原点の地根室では約束があった。人道支援物資については「地元根室を使うこと」ということである。鉛筆一本、ノート一冊、油も野菜もそうであった。あわせて「日ロ友好の家」についても地元業者を使うのが約束だった。それを外務省は「日本工営」と「日揮」に落札させ、慌てて地元業者を探しに来たのである。

 佐々木氏に言いたい。私はあなたの言った「ムネオハウス」では事件になっていないし、あなたが参考人招致で質問したことで裁判になったことはないということをはっきりさせておきたい。

 「相手の話、聞こうよ」と言うなら、私の話もしっかり聞いてほしいものである。

 佐々木憲昭氏は証人喚問でも質問に立たれたが、この時質問された件で事件になったものはない。

 少なくとも佐々木氏以上に私はロシア・北方領土と向き合い、根室はじめ隣接地と付き合って来たし、今も向き合っている。

 佐々木憲昭氏の話と私の話どちらが事実であったかはっきりしている。この点、厳しく指摘しておきたい。