今朝の朝日新聞4面を見て驚く。

民進党の野田佳彦幹事長が「2島返還『100万円獲った強盗が、7万円返すと言っているのと同じ』12月にプーチン・ロシア大統領が訪日しますが、日露首脳会談で北方四島の帰属問題が進展するのではないかと、期待が高まっています。そして、そのことをもって信を問うという人もいます。果たして、この外交課題が信を問うようなことでしょうか。
 仮に、国後、択捉、歯舞、色丹の4島のうち、歯舞と色丹の2島が返還されるとしましょう。これは全体の半分を返すという話ではありません。この2島の面積は、4島全体の約7%にしかすぎないのです。すなわち、約70年前に100万円を奪った強盗が、今ごろになって7万円だけは返してやるよと言っているのと同じです。馬鹿も休み休み言えってところです。」

 この程度の認識で領土問題、国境画定を考えていることに唖然とする。戦後の歴史、国際的諸手続き等、判っているのかと指摘したい。

 そっくりのしを付けて野田さんに「馬鹿も休み休み言え」とお返ししたい。

 1951年、日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰した。この時、吉田首相は国後島・択捉島を含む千島列島と南樺太を放棄した。歯舞・色丹については北海道の一部を構成する日本の付属諸島であるとしている。

 このことは1951年9月のサンフランシスコ講和条約後の国会(1956年2月)で西村熊雄外務省条約局長が吉田首相同席の国会答弁でも明らかである。

 しかし外務省は1956年2月衆議院外務委員会で森下国雄外務政務次官が国後・択捉は放棄していないとすり替えの答弁に転じた。それはサンフランシスコ講和条約にソ連は署名していないという理屈だった。

 1956年10月19日、日ソ共同宣言が署名され、これには平和条約締結の後、歯舞・色丹はソ連の善意によって引き渡すとなっている。国後・択捉には一切触れられていない。

 また、8月にはアメリカのダレス国務長官が、重光外相に対しロンドンで「ソ連と平和条約を結ぶのなら沖縄は還さない」いわゆるダレスの恫喝があった。

 1960年日米安保条約が改訂されるとソ連は外国軍隊が駐留する国には1956年宣言も無効とし「領土問題はない」と言ってきた。その為、日本は「四島一括返還」その上に「即時」と強く出た。東西冷戦構造の中で米ソ、超大国に翻弄されてきたのである。

 平成3年12月、共産主義ソ連邦が崩壊し、自由と民主のロシアに生まれ変わった。この変化により日本は「四島一括、即時返還」の旗を降ろし「四島の帰属の問題を解決して平和条約」と政策転換した。

 エリツィン大統領は、北方領土問題はスターリンの残滓だ、法と正義に基づいて解決しようとなった。その後、プーチン・メドベージェフ、プーチン大統領と引き継がれている。

 野田佳彦氏は陸の面積しか頭に入っていないようだが、海の面積の重要性を判っていない。

今、中国が至る所で海洋進出を図っているが、海が戦略上いかに重要か野田さんの頭にはないようだ。

色丹・歯舞が還って来るだけでも200カイリがどれほど大きなものか良く目を丸くして野田さんには地図を見てほしいものだ。

 7%、2島でダメだというならあなたは何を根拠に北方領土を主張し、どういう解決策を考えているのか明らかにしてほしい。

 原理原則を主張しても戦後71年経っても1島も還ってこない。これから71年待てというのか。野田さんが具体的な解決策も示さず、ただ犬の遠吠え宜しく無責任なことを言っている。これは単なる運動での発言である。責任ある政治は交渉によって結果を出すことである。

 私は誰が何と言おうと安倍総理の新しいアプローチによる現実的解決を目指すしか北方領土問題の解決はないと考える。

 3日遅れのニュースペーパーどころか、25年前に時計の針を戻すような野田発言を聞き、この程度のレベルで平成24年10月しなくてもよい解散をし、惨敗し、今日に至ったものだと納得するものである。

外交は積み重ねだ。安倍総理は歴史を踏まえて国益の観点から大きな決断をなされる。全幅の信頼を持っていかなる判断、決断でも私は支持して参りたい。