昨日は1956年の「日ソ共同宣言」から60年、改めて北方領土問題を振り返って見た。

 当時、東西冷戦に入り、アメリカはソ連と日本とが平和条約を締結することを危惧した。

 政府が軽井沢における臨時閣議で、2島返還での平和条約は結ばないと決めてもダレス国務長官は重光外相に「もし平和条約をソ連と結ぶのなら、沖縄の施政権は未来永劫還さない」と、いわゆる「ダレスの恫喝」があった。

 1960年、日米安保条約を改訂した際、ソ連は「外国人軍隊が駐留する国には領土は引き渡せない」と1956年宣言での平和条約締結後に歯舞群島・色丹島の引き渡しもほごになり「領土問題は存在しない」がソ連の考えとなった。

そこで日本は「四島一括即時返還」と強く出ざるを得なくなった。それがソ連時代の日本の主張である。

 ところが平成3年4月、ゴルバチョフソ連大統領が最高首脳として初めて日本に来られ、海部首相との会談で4つの島の名前を上げて領土画定の問題を含む平和条約作成と締結に向け話し合った。

その半年後にソ連共産主義は崩壊し、自由と民主のロシアとなりエリッイン大統領が誕生し北方領土問題はスターリンの残しだ「法と正義」に基づいて話し合いで解決しようとなった。エリッイン大統領と細川首相との間で東京宣言がまとまった。

ここでは4島の名前を上げ、日露どちらに帰属するか話し合おうとなった。この東京宣言ではロシアに4島の時は日本0、ロシアに3島の時は日本1島、ロシアが2島の時は日本2島、ロシアが0の時は日本4島の5通りのシナリオになる。

日本が100点、ロシアが0点、逆にロシアが100点、日本が0点という外交はない。この東京宣言をよく外務省が首脳会談後の文章に入れてきたが現実的でない。

日本の国会も批准し、ソ連の最高会議(現在のロシア国会)も批准した1956年の日ソ共同宣言をもとに2001年のイルクーツク声明での歯舞群島と色丹島を具体的に日本に引き渡す協議、国後・択捉がどちらに帰属するかを協議するとした並行協議をもとに現実的解決に向けて交渉して行くしかない。

外交には相手がある。日本の主張として4島返還ならばロシアは0点でロシア国民の8割は返還の必要がないと言っている以上、ロシアは乗れない話だ。

1956年の日ソ共同宣言をスタート台にしてイルクーツク声明に基づき、プーチン大統領が言った「引き分け」「はじめ」をいわゆる「2プラスα」の交渉が現実的と私は従来から主張してきた。

2島が還って来ただけでも海の面積、経済水域がどれほど拡大され日本の国益に叶うか冷静に考えてほしい。

国後・択捉に関して世界一の応用技術を誇る日本が様々な形で共同経済活動等、協力していくことにより新しい展開が出来るのである。

 安倍総理は誰よりもソ連時代からロシアになった今日までの様々な流れをしっかり頭に入れておられる。

 北方領土が一番近づいたイルクーツク首脳会談では官房副長官として立ち会っている。

 そして今「ウラジミール」「シンゾウ」と両首脳は極めて強い信頼関係がある。メディアも憶測や一方的な情報を流すことなく静かに12月15日の首脳会談を見守ってほしい。

 安倍総理は総合的に熟慮に熟慮を重ね、国益の観点から判断される。その決定、決断に私は両手を上げて支持し、更なる前進を図って行きたいと思う。

 

 

 

 

※10月21日(金)9:00~9:30ラジオ文化放送「くにまるジャパン極」(北方領土問題について)生出演します。ぜひお聞きください。