外務省でロシアンスクールの代表的官僚であった丹波実氏が7日に亡くなっていたと11日、外務省が発表している。
まだ78歳、人生85年の今日、丹波氏ご自身が無念だったことだろう。心からのご冥福をお祈りしたい。
 丹波さんのことは中川一郎先生の秘書時代から良く知っている。安全保障に関し、中川一郎先生のところにしばしば説明に来たものだ。
 私が衆議院議員になり、よく議員会館に来てくれた。特に平成2年外務政務次官に就任してから頻繁に来てくれたものである。
 平成6年、自民党が村山富市社会党委員長を総理として担ぎ、首班指名選挙の際私は造反し、海部俊樹と記名投票した時、丹波さんは「鈴木先生、筋を通しさすがです。鈴木先生に一生着いて行きます」と涙を流した姿が目に浮かぶ。
 橋本龍太郎総理の時、外務審議官としてクラスノヤルスクでの日露首脳会談について表に出してはいけないことをある新聞社に話し、橋本総理が激怒した。その時、丹波氏は「身柄は鈴木大臣にお預けします」と言った。
 佐藤優さんも飛んで来て「丹波審議官を助けて下さい。橋本総理にどうか口添えして下さい」と言ってきた。
 私は当時、閣僚だったので佐藤さんの言う通り橋本総理に話をした。橋本総理は憮然とした表情で何とか話を聞いてくれたものだ。
あの時も丹波氏は「一生このご恩は忘れません」と言ったものである。数々の想い出が脳裏を駆け巡る。
 丹波氏は橋本・小渕・森政権時代は政権に寄り添い、北方領土問題についても現実的判断による段階的解決論だったが、外務省を辞めてからは「50年でも100年でも正義の主張をすべきだ」と強硬論に転じた。このあたりから体調を崩されたのではないかと今となっては察するものである。
 クラスノヤルスク合意も川奈提案も丹波氏が主導した段階的解決論であったのだから。
 改めて丹波氏のご冥福をお祈りしたい。