今年も早いもので10月に入った。「今日という日は再び来ない」「時間は帰ってこない」「一日を大切に」等々言われるが、秋になるとこうした言葉が身に染みる。

 この一カ月、大きく感じる事がある。9月2日ロシア・ウラジオストクでの日露首脳会談で、12月15日プーチン大統領が山口県長門市を訪問し、日露首脳会談を行う事が決まった。

 戦後71年過ぎ、1956年の日ソ共同宣言から節目の60年、懸案の北方領土問題が動くのではないかとの期待が高まっている。

 そのせいかテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌からの予定が入る。

 9月6日は、テレビ朝日のインターネット番組

 12日は、日本テレビBS深層ニュース

 13日は、BSイレブン

 22日は、テレビ朝日「橋下×羽鳥の番組」収録(放送は10月3日23:15~24:15)

 28日は、日本外国特派員協会で講演

 30日は、ラジオ J-WAVE

 10月1日は、ラジオNACK5

 3日は、BSフジ プライムニュース

 7日は、ラジオ日本

である。

私は出演番組で、北方領土について正確な経緯を話す事にしている。

1951年、日本が国際社会に復帰したサンフランシスコ講和条約では、吉田首相が全千島と南樺太を放棄している事。

全千島には国後島、択捉島が入っており、当時の西村熊雄外務省条約局長が国会答弁している事実。

1956年の日ソ共同宣言では、平和条約の締結のあとに歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す事。これは日本の要求で返還するのではなく、ソ連の善意で還す事になっている。

この1956年の日ソ共同宣言の前に、当時のダレス国務長官がソ連と平和条約を結ぶのなら沖縄は未来永劫日本に還さない、いわゆるダレスの恫喝があり、2島で平和条約を結ぼうとした重光外相が諦めざるを得なかった事。

その後、1960年の日米安保改定により、ソ連が強硬になり北方領土問題は存在しないと言い始めた事。そこで日本は、四島一括返還、その上に即時とつけた事などを説明する。

しかし平成3年(1991年)ソ連が崩壊し、自由と民主のロシアになってから、北方領土問題は未解決の地域、係争地域とエリツィン大統領が認め、過去の様々な約束に沿って話し合いで解決しようという事になり、日本政府は四島一括返還の旗を降ろし、4島の帰属の問題を解決、4島の帰属が認められれば、島の返還時期、態様は柔軟にし、島の返還に時間差があっても良いと日本政府は方針変更した事を時系列に沿って話している。

メディアの中でも、特に国会議員の中に、このソ連時代の領土問題はなしと言っていた時、日本は強く「即時4島一括返還」と主張した事を今でも政府方針と思っている人が多い。

自由と民主のロシアになってから4島の帰属の問題を解決して平和条約、4島の帰属が確認されれば、島の返還時期は差があってもいいですよと柔軟になったこの基本をしっかり認識しなければならない。

更に安倍首相は、これらの流れの中で新しいアプローチをウラジオストク首脳会談で話している。

領土問題、国境画定はトップリーダーの判断、決断によってしか解決出来ない。ロシアで80%以上の支持を持つプーチン大統領と日本で50%以上の支持を持つ安倍首相との間でしか解決出来ないのである。

安倍首相は、国益を考え世界の安定を見据えて大きな決断をしてくれるものと確信している。

元島民の平均年齢も82歳になり、時間は限られている。これから、また70年待てというのは、あまりにも酷な話である。人道的にも、今解決しなければならない。

安倍首相に全幅の信頼を寄せ、世論あげて支えるのが我々の義務ではないか。

その方向に向けて、少しでも貢献したいと考えている。