高速増殖原型炉いわいる「もんじゅ」が廃炉となる方向だと報道されている。
 21世紀のエネルギー、夢のエネルギー、新しい核燃料サイクルのスタート等々、今から40年前持てはやされたことが想い出される。
 1980年(昭和55年)、鈴木善幸内閣で国務大臣科学技術庁長官に就任した中川一郎先生は「科学技術立国元年」と銘打って科学技術庁の予算を大幅に増やした。その目玉が「もんじゅ」であった。
 当時、大蔵省の科学技術庁担当主計官は米澤さんで、科技庁の会計課長は農水省から出向していた永井さん、総務課長は通産省(今の経産省)から出向していた尾身幸次さんだった。
 米澤主計官は「鈴木秘書官、私が上手くやりますから」と非常に好意的に対応してくれた。
 永井さんは農水省なので根廻し等上手にやり、米澤さんとも信頼関係はあったが、ストレートにものを言ってくる尾身さんについて米澤さんとは波長が合わなかったようである。様々な経緯、出来事が想い出される。
中川先生が「30年後には実用化されます」という技術官僚の言うことを鵜呑みにした。残念ながら原子力についての基礎知識を持ち合わせていなかったからである。
 あの当時の敦賀市長は高木毅衆議院議員のお父さんであり、原子力行政には随分協力してくれた。また、それに見合う様々な予算措置をしたものである。
 エネルギー資源なき日本があの頃、原子力に頼るのは当然のことのように思われ、受け止められた。今そのツケが出てきたと言って良い。
 一兆円以上の国費を使いながら結果を出せなかった。ここはきちんと検証し、国民に説明責任を果たすべきである。そのことにより理解と次に向けてのステップになると考えるのだが。
改めて40年前のことが昨日の事の様に脳裏をめぐった次第である。
 雨も上がり東京も台風一過である。午後、札幌に来たが、見事な秋晴れである。自然の移ろいを感じながら、台風で被害に遭われた皆様に心からのご冥福とお見舞いを申し上げるものである。