21日の色丹島は真夏日で、気温計は29度だった。過去にも5月に色丹島に何回か来たが、こんなにも暑い色丹島は初めてだった。

 旧知のホームビジットを受け入れてくれたドウダーエフ・ミカイル・アフマドヴィチ氏は、今年の気候は1994年(平成6年)10月の根室沖東方沖地震の年と似た天気で、地震が心配だと深刻な表情で話されていたのが気になった。好天は有難いが、天変地変(てんぺんちへん)は避けたいものである。

 色丹島を廻る定番である穴潤文化会館、消防署、学校、発電所を視察する。穴潤消防署、穴潤学校は、南クリル社会発展計画で出来たもので、モスクワ政府の予算である。

 この学校の横に日本が21年前、人道支援で創ったプレハブの学校があり、今も音楽教室として使われていた。中を見ながら、しっかり綺麗に使われている事に感激した。

 発電所も1999年、私が予算措置したもので、今もきちんと使われており、管理者も私の顔を見て「ムネオさん」と声をかけてくれた。

 学校の校長先生も「鈴木さんに、島の皆さんは感謝しております」と団員の前で挨拶して下さり、人情を感じた次第である。

困った時の友人が真の友人とよく言われるが、これは古今東西生きている大事な事と改めて思ったものである。

今年は、平和条約交渉が大きく動く年と確信しながら、色丹島の皆さんとの友好、親善は変わりなく続けていく事の重要性を胸に刻んでいきたい。

今日も好天で、斜古丹墓地お参り、ロシア正教会、幼稚園を視察し、夜は行政府も交えた交流会で、地元の皆さんの声を伺いたいと思っている。