定数削減、一票の格差解消等、衆議院選挙制度改革の合意形成に向け、3月中に結論を出すべく、大島議長が精力的に動きはじめていると報じられている。

国民から選ばれた国会議員が集う立法府の議長としてリーダーシップを発揮するのは当然であるが、大島議長は安倍首相の国会での答弁を踏まえ、更には伊吹元衆院議長の敷いたレールをしっかり受け継ぎ、大島議長の見事な舵取りを期待してやまない。

沖縄米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐる代執行訴訟で国が、裁判所が示した和解案を受け入れる事で小休止したが、問題はこれからである。

振り返れば1996年(平成8年)、時の橋本龍太郎総理がモンデール駐日米大使と普天間返還合意してから20年になる。どうして時間がかかったのか冷静に考えるべきである。

1997年(平成9年)に比嘉鉄也(ひがてつや)当時の名護市長が、市長辞任と引き換えに普天間の名護受け入れを表明し、次期市長の岸本氏も引き継いだ。沖縄県知事も大田昌秀革新知事から、1998年(平成10年)、稲嶺恵一(いなみねけいいち)知事に変わった。

この時、稲嶺知事は使用年数を15年と時間をきってきた。ここでアメリカが時限措置に反対してきた。極東の平和と安全を守るには時限的では駄目(だめ)だというアメリカの強い意見だった。

民主党政権時代、防衛相を務めた北沢俊美氏は、テレビ番組に出演し「防衛相在任中にヘリコプター部隊の拠点と訓練場の距離を65カイリ(約120キロメートル)以内とする米軍の内規について説明を受けていたことを明かした。民主党政権では鳩山首相が米軍普天間飛行場の県外移設を目指したが、米政府はこの内規を理由に日本側に反対を伝えたとされる。

北沢氏は、番組で『(内規は)外務省が盛んに言っていた。私も説明を受けた。防衛省の役人もペンタゴン(国防総省)で内規を見ている』と述べた。(読売新聞朝刊4面)」と出ている。

鳩山首相は、移設は海外、少なくとも県外と述べたが、結局はアメリカに潰されてしまった。鳩山氏自身がアメリカの意見を汲(く)んだ外務、防衛の官僚に負けたのである。

アメリカは、いつもアメリカの価値観を日本に押し付けてきたのだ。こうした経緯をしっかり検証しながら沖縄の声、思いをきちんと受け止めて、次のステップに移ってほしいと、この問題に関わってきた者として願うものである。