本日の衆議院予算委員会で自民党の平沢勝栄衆院議員が6000人の命のビザ、元リトアニア副領事杉原千畝氏の人道的判断を称えた。そして杉原さんに対しての外務省の評価、認識を正した。

岸田外務大臣は人道的行為を称え、外務省として2000年に外交史料館に顕彰のプレートを外務省は作ったと答弁した。

杉原さんの名誉回復をしたのは平成3年10月3日、当時外務政務次官であった私である。あの時、外務省は名誉回復に反対したが、私は外務省を説得し、ご遺族に謝罪し、外務省として立派な外交官が居たことを誇りに思うと名誉回復した。さらにプレートでの顕彰を実現させたのも私である。

真実を国会答弁で大臣にさせない外務官僚の頭作りに、外交力、イコール人間力であり、日本外交を心配するものである。

ここで当時の国会でのやり取りを掲載し、事実関係を知って戴きたい。



① 123 - 衆 - 予算委員会第二分科会 - 1号 平成04年03月11日

○草川分科員 草川でございます。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害を逃れてポーランドからリトアニアに脱出をしてきましたユダヤ人に、日本通過の査証を日本国政府の命令に反して発給を続け、そして六千人のユダヤ人の命を救った旧リトアニア領事館領事代理杉原千畝氏の名誉回復について、この際外務大臣の見解を求めたいと思います。

一九四〇年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻で多くのユダヤ人がリトアニアなどバルト三国に殺到をし、日本を経由して米国などへ脱出するためビザの発給を求めていたときの話であります。当時リトアニア駐在の杉原副領事は、再三にわたってビザ発給の許可を日本政府に請訓をするわけですけれども、拒否をされたようであります。日本は日独防共協定を結び、ドイツとは同盟関係にあったからだと言われております。苦しんだ末、杉原副領事は独断でビザ発給に踏み切り、転勤命令が繰り返し伝えられる中、リトアニアを出国する出発ぎりぎりまで、列車にまで押しかけるユダヤ人の方々にその列車の中でビザを書き続け、六千人の命を救ったと言われています。

私たちは、つい最近までこの人道的な行為を知らずにきたことを大変恥ずかしく思っております。終戦後ソ連での抑留から帰国をされました杉原氏は、外務省に復職を願いますけれども、昭和二十二年の人員整理という

ことで退官を強いられました。独断によるビザ発給は本国政府の訓令違反とされたと言えます。杉原氏本人も家族も、本省の意向に反してピザを発給した責任を問われたとの思いを抱き続け、四十四年間外務省関係者との交流を一切絶っていらっしゃいました。昨年の十月、鈴木宗男外務政務次官がリトアニアとの外交関係樹立を機会にこの問題を取り上げられ、飯倉公館で御家族に謝罪をされたと聞いております。しかし、その席に外務大臣も外務省の局長も同席をされていないという対応をした、大変こういう対応に私は不満であります。この際、外務省は正式に謝罪をし、この方を顕彰すべきだと思うんですが、大臣の見解を問いたいと思います。



○渡辺(美)国務大臣 これは昔の古い話なので記録以外には調べようがないんですが、杉原さんが訓令違反で処分されたという記録はどこにもない。それから、そういうような査証を発行したのは十五年ですが、その後でプラハの総領事館あるいはケーニヒスベルクの領事館、ルーマニア公館等を七年間勤務してきた。だから、七年間外務省にずっとおるわけですから、処分をされたわけではないし、二十二年には約三分の一、外務省の人員の三分の一が解雇されたそうです。終戦直後の話ですから、その三分の一の中に入っだということは事実でございますが、特に不名誉な話ということは私は全く聞いておりません。

それから、鈴木次官がそういうことであられたということは、私は今初めてここで聞きました。



○草川分科員 外務省、それは大変おかしいので、きょうはこのことを予告してあるわけでありますし、随分多くの新聞で杉原元リトアニア副領事四十四年ぶり名誉回復、不本意な退官、外務省、遺族に謝罪、随分いろいろな新聞に出ているのですよ。それを大臣が知らないというのは外務省の対応が非常にまずいと思うのですが、その点はどうですか。

○兵藤政府委員 仰せのお話でございますけれども、若干補足させていただきますれば、例えば杉原氏は後刻叙勲も受けておられるわけでございます。たしか勲五等瑞宝章という勲章を受けておられる。このことからいたしましても、先生御指摘の訓令違反があったのでやめさせられたということではなかったのだろうというふうに私ども拝察をいたしております。

それからなお、御指摘の鈴木政務次官が外務省を代表されておわびしたということでございますけれども、中山外務大臣御在職中のことでございましたけれども、鈴木政務次官がバルト三国にまさに歴史的な外交関係を樹立する任務を帯びて立たれるという直前にこの杉原副領事のお話を聞

かれて、政務次官御自身も大変に感激をされ、ビリニュスに、あるいはその当時はカウナスでございましたけれども、スギハラ通りというものができたという話も聞かれて、ぜひ未亡人にお会いして自分の気持ちを伝えたいというお話もございました結果そういうことが実現をいたしました。

なおその前にも、例えば五月でございましたか、中山外務大臣がイスラエルに外務大臣として正式に訪問をされましたときにも、中山外務大臣から公式の場で、これはイスラエルにおける発言でございましたけれども、日本国民の一人として人道に基づく杉原副領事の判断と行動を深く誇りにするという発言を外務大臣としてしておられることも、先生御承知のとおりでございます。



○草川分科員 じゃ、渡辺外務大臣は今の答弁を聞かれまして、杉原氏の名誉回復というのですか、本人を初め遺族の方々は私が先ほどるる説明をしたようなお気持ちを持ってみえたわけでありますから、また政務次官もそういう意向を体して去年お会いになられた、こういうことでありますので、改めて渡辺外務大臣としてどのような御見解が、意見を賜りたいと思います。



○渡辺(美)国務大臣 私は、その事態をよく見て人道的な見地からそれだけの御苦労をして出国をさせたということは、やはりすばらしかったなと、過去を振り返ってそのようなたたえたい気持ちであります。



答弁からもあの渡辺美智雄大臣ですら、官僚の手のひらに乗っていたことが判る。

杉原千畝さんは昭和22年外務省を辞める時、当時の岡崎勝男事務次官から「例の件んで辞めてもらうと言われた」と述べている。私も幸子夫人からそのやりとりを伺っている。

草川先生は2日後、再度質問に立っている。



② 123 - 衆 - 予算委員会 - 17号 平成04年03月13日

○草川委員 これも総理にお伺いをいたしますが、実は私、一昨日の外務の分科会で、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害を逃れてポーランドからリトアニアに脱出をしてきたユダヤ人に対しまして、日本通過の査証を日本政府の命令に反しまして発給を続け、六千人のユダヤ人の命を救われました旧リトアニア領事館の領事代理杉原千畝さんの名誉回復のことについて外務大臣の見解を求めました。なお、この件については、昨年

でございますか、鈴木政務次官が大変御心配になりまして、リトアニアとの外交関係樹立を機会に飯倉公館で御家族に謝罪をされたと聞いておるわけでございますが、私にとりましては、ぜひ、この名誉回復という意味も含めまして、杉原副領事の勇気ある行動、今日日本にとっても大変大切な行為ではなかったか、こう思うので、これは宮澤総理から一言御見解を賜っておきたい、こう思います。



○宮澤内閣総理大臣 私も、報告を受けておるところによりますと、杉原副領事の行った判断と行為は、当時のナチスによるユダヤ人迫害といういわば極限的な局面において人道的かつ勇気のあるものであったというふうに考えております。この機会に改めてその判断と功績をたたえたいと思います。



○草川委員 以上です。この点はありがとうございました。



宮沢総理が明確な答弁をしている。しかし、当時外務官僚は杉原さんの功績を称えることはなかった。

プレート顕彰については次の通りである。



③ 149 - 衆 - 外務委員会 - 1号 平成12年08月04日

○鈴木(宗)委員 限られた時間ですから、簡潔に質問したいと思いますが、河野大臣、杉原千畝さんという方を御存じかと思います。

私は、七月の三十日、岐阜の八百津町にお招きをいただきました。それは、杉原千畝さんの生誕百年祭の記念式典であります。

あれは平成三年の十月三日でしたけれども、私は、たまたま外務政務次官として、リトアニアと五十一年ぶりの外交関係の回復、いわゆる国交を開くということで、政府特使として行くことになりました。リトアニアといえば杉原千畝さんだと思ってそれなりに勉強しておりましたら、杉原千畝さんは、訓令違反で外務省を去らなければいけない、その後外務省と一切関係を絶ってしまった、家族は何となく外務省に対していい気持ちを持っていないということを知りました。

特に、奥さんの「六千人の命のビザ」というのは感動を受ける本であったと思うのですね。そこで、私は、行く前に解決しようと思って、十月の三日に飯倉公館に御家族を呼んで、外務省として正式に謝罪をし、四十四年ぶりに名誉回復をしたのであります。

しかし、最近またとみに、この杉原さんの外交官としての人道的な決断

はすばらしいものであったと内外から多くの称賛の声が聞かれたのであります。

そこで、ことしは杉原さんの生誕百年であるということも一つの節目として、私は、ぜひとも外務省で、杉原さんに対する顕彰といいますか、すばらしい外交官がいたんだということを誇りに思うためにも、あるいはこれからの若い外交官に責任を持ってもらう意味でも、何がしかの位置づけをした方がいい、こう思っているのですけれども、河野大臣、どうお考えでしょうか。



○河野国務大臣 鈴木議員御指摘のとおり、杉原さんは外交官として、もう多くの人が知っている、ナチスの迫害のもとに命を失いかけているユダヤ人の人たちのために、本当にみずからの命をかけてでもこれを守って仕事をやり抜いた、そういう意味で、日本国内はおろか国際的に非常に高い評価を受けておられる方でございます。

私は、今世界各地に日本の外交官はたくさん出ておりますけれども、そうした人たちにも杉原さんのこうした行為というものが伝えられて、その心の中に残ってほしいという気持ちは私も鈴木議員と同じように持っておりますので、何かできることがあれば外務省としていたしたいと思います。

今御指摘をいただきました、生誕百年ということで、まだ具体的な準備を実はいたしておりませんが、きょうの御質問を機に、外務省として早急に方法を考えたい。例えば顕彰のためのプレートを掲げるとか、何か少なくとも後に残るものをいたしたい、こう考えております。

また具体的に何かお知恵があれば、御指導いただきたいと思います。



○鈴木(宗)委員 今の大臣の、何か顕彰したい、残るものをつくりたいということを私は多とします。

そこで、日本とリトアニアが五十一年ぶりに外交関係が樹立されたのが十月十日でありますから、一つのけじめといいますか、日にちとしては、この外交関係が樹立された、特にこのリトアニアにはスギハラ通りという通りもあるんですね、そういった意味で、ぜひとも十月十日までに私はやってもらいたい、こう思いますが、いかがでしょうか。



○河野国務大臣 御指摘を踏まえて、十月十日をめどに努力したいと思います。



○鈴木(宗)委員 ぜひとも、私からも杉原さんの奥様初め関係者にお伝えしますけれども、外務省からもそのことを連絡いただきたい、こう思っております。




外交は積み重ねである。信頼関係が一番であることを外務官僚は心してほしいものである。

佐藤優さんの「外務省犯罪黒書 日本国外務省検閲済」(講談社)をよく読む必要があるのではないか。

間違いや過ちはあるものだ。そこで大事なことは真摯にお詫び、反省をすることが人の道である。それをすり替えたり、言い訳するところが問題である。

今日の岸田大臣の答弁を聞きながら、失ってはいけない真実を伝える心を外務官僚はまだ、持ち合わせていないと感じたものである。