昨日の東京新聞夕刊6面に「BC級戦犯 最期の言葉 潔白訴え 処遇に感謝」という見出し記事と「BC級戦犯死刑囚が残した最期の言葉」に目が留まる。読者の皆さんに紹介したい。



1946年4月9日

将来の国家の平穏を祈り、世界で二度と戦争が起こらないように祈りながら死にたい。米国の親切で長生きにわたる配慮に感謝を述べ、神に祈りたい。

5月31日

マニラでの裁判ではヒィリピン人の言葉が重視されていやようで、そのため実際には無実である者たちに有罪が言い渡されることもあったという問題に言及しておきたい。

米国が全ての者に対してより徹底的な審理を行うことにより、戦勝国として信望を得てほしいと願っている。日本が公正な国家となり、この世界が恒久の平和を得ることを願う。

6月6日

自分は後悔することなく、この戦争に敗れた日本人のために犯罪者としてではなく日本軍人として死ぬ。自分の裁判は十分ではなく、犯罪者として死にたくはない。

自分は誰も殺しておらず、無実だ。私は日本軍を馬で案内しただけで、殺したのは日本軍人だ。絞首刑で死ぬのはざんきに堪えない。米国に報復したい

6月14日

米軍、特に収容されている間世話になった職員と警護兵に感謝の意を示したい。

これからは、実際には罪を犯していない者に関する誤りがなされないことを願う。自分はこの犯罪で処刑されてはならない無実のものだと繰り返し述べておきたい。

7月17日

自分は司令官からの命令に従っただけであり、自分の犯罪を恥じてはいない。後に続く者たちの裁判で、より正義が実現されることを望む。弁護人に感謝する。



東京裁判でA級戦犯については多くの人が知っていると思うが、戦後間

もなく、米軍マニラ裁判で何人もの日本人が死刑執行されたことの詳細を知っている人は何人いるだろうか。

戦後70年、節目の年と言うなら、こうした件にも関心を払い名誉回復や真実を明らかにするべきではなかったか。

罪のない人の命を取るやり方、戦勝国が正しいという見方、判断を戦後70年、今年は区切りを付けるべきと思うのだが。

一方的に断罪された前途有為な人の無念さを思う時、ただただ胸が痛む。忘れてはいけない、無視してはならない出来事と心したい。