今日は悲しいことを書かなければならない。高校時代の同級生で、足寄町大誉地の私の実家を守ってくれた横山和夫君が亡くなった。

平成16年七月、特発性間質肺炎という難病が発病し、北大病院で余命五年と言われる。あれから11年、よく頑張った。近代医療の常識を超えた横山和夫の「生きる」闘いだった。

昭和41年、足寄高校卒業後、東京に出て様々な職業を経験し、その間、「習闘争、王子野戦病院反対闘争、三里塚空港反対闘争」に参加している。

きわめつけは佐藤栄作新米阻止闘争に参加し、鎌田駅構内で逮捕、公務執行妨害、凶器準備集合罪、起訴され、8カ月間東京拘置所に拘留された。

平成14年6月19日、私が国策捜査で逮捕される前日、横山君は「宗男逮捕は、俺が先輩だぞ、何も心配するな。ただ、弁護士の面会だけは毎日しろ」と言われたことを今も覚えている。

平成22年、12月の収監の前に大誉地のお墓参りをし、実家によった時、国道のそばの畑に「宗男さん、故郷はあなたの帰りを待っています」と誰でもわかる大きな立て看板を横山君は立てくれていた。あの光景も忘れることが出来ない。

色んな経験をした横山君は奥さんの協力で昭和56年、土地家屋調査に合格し足寄町に帰り、57年、家屋調査事務所を開業した。

そして翌年58年12月、私の最初の選挙となり足寄高校の同級生・同窓生をまとめてくれ、亡くなるまで私の同志だった。

学生時代、横山君と一緒に各種闘争に行っていたら血気盛んな私は和夫より先に逮捕されていたことだろう。当時、左ではなく右であった私に横山君は遠慮があったと思われる。

8月13日、足寄町立病院にお見舞いに行った時、「宗男、葬儀委員長頼むぞ」とポツリ言われた。「おー、いいぞ」と軽い気持ちで返事をしたが、まさかこんなにも早く永遠(とわ)の別れをするとは。

私は日程を変更して今日のお通夜、明日の告別式で葬儀委員長を務めさせて戴く。

なんと2015年9月5日15時50分付で葬儀委員長挨拶メモが作られていた。亡くなったら連絡してほしい友人、知人、49日後に北大での主治医の先生とリストも作ってあった。そして「我が歩み」を時系列で6枚にまとめてあった。

横山和夫君の最後の仕事は「大誉地の里より」という「民宿大地」「大

地の里」のブログを整理、抜粋した出版であった。その序文を紹介したい。



「大地の里」について 横山和夫

平成19年4月から鈴木宗男氏のご好意で、足寄町大誉地の実家と畑を課した折に「大地の里」、「民宿大地」を立ち上げ、ホームページをつくった。そこに徒然なるままに書き散らしたブログを整理、抜粋したものです。初めての出版の試みとはいえ、今編集にあたって読み返してみたが余りの拙文に恥ずかしい限り…です。

5年間の営農と4年間の民宿を続くられたのは「大地の里」村長 王塚善一さんはじめ多くの大誉地の地域の皆さんのお蔭です。ここのあらためて皆さんに感謝とお礼を申し上げたい。

今、振り返ってみるに現役を引退して大誉地で暮らした日々は私の人生の中で最良のものでした。

「人生はいつも未完」と思いつつ今、同時代を生き「天国と地獄」をみた鈴木宗男氏の戦い続ける姿に励まされ、療養している。

コップの水はまだまだ残っている。残っている限り明日はあると思うのである。



関係者にお礼と進呈した挨拶は



お礼と進呈 横山和夫



初秋の候、皆さまに於かれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

この度は小生の療養生活に対し、お見舞い、又 温かいご厚情を頂き心から御礼申し上げます。

今も相変わらずの入院生活ですが、お蔭様で平穏な日々を送っています。

少年は明日を夢想し

青年は荒野を彷徨い

そして今追憶に耽る

「人生は未完」だと思いつつ、まだまだ為すべきことは無限にある、こんな想いで一冊の本を出版しました。

左記の本を皆様に進呈いたします。恥ずかしいかぎりの拙筆ですが御笑覧ください。

「大地の里より」草莽舎刊

刊行にあたっては、新党大地代表 鈴木宗男氏に大変お世話になりまし

た。

言うまでもなく「鈴木宗男事件」なるものは国策捜査による冤罪であり、鈴木宗男氏の業績と時代に対する戦いは、間違いなく歴史に刻まれることと確信します。

一日も早く政界に復帰され、ご活躍される事を切に願うものです。

最後に皆様方のご健康とご活躍を祈念し、御挨拶と致します。

2015年9月吉日



自分自身の人生の終わりを横山和夫君は察しながらも生きていたいという思いが伝わってくる。なんと言う世の無常であろうか。

登山好きな和夫だった。おそらく明日から雌阿寒岳に行っているのだろうか。しばらくたったら好きなネパールピマラヤに行くのだろうか。

「和夫、ゆっくり慌てるな」と心配するものである。

かけがえのない友との別れに、ただただ涙するものである。