読売新聞1面「戦後70年あの夏」シリーズものに目を通しているが、8回目の今日は元プロ野球選手の張本勲さんだった。

張本さんの両親は当時日本の植民地であった朝鮮から日本に渡って来た。張本さんは広島市で生まれ5歳の時、原爆が投下され、爆心地から2キロと離れない自宅に居り、家屋は全壊し気を失い意識が戻り最初に記憶しているのは子供らをかばって覆いかぶさっていた母と血の赤い色だったという。

戦争の後、朝鮮に帰った父は亡くなり、お母さんは3人の子供を養うため朝から晩まで働き、寝ている姿を見たことがないという。

お兄さんはタクシーの運転手をし、張本さんが浪華商業に入学すると収入の半分の1万円を毎月仕送りしてくれたそうである。

朝鮮人であるがゆえに様々な差別、貧困を経験し、その中で家族愛や民族としての誇りを忘れず、あの不屈の精神力で日本を代表するプロ野球選手として結果を残し、野球殿堂入りする。

現役時代、見るからに「オンリーワン」の姿勢でこれが張本流だという生き様に感銘を覚えていたが、今日の張本さんのインタビューで一層、張本さんに対する敬意の念が深まった。

張本さんは冒頭「人間には知恵がある。互いに引くところは引き、話し合えば片付かないものはないというのになぜ争うのか。政治は分かりませんが喧嘩してもどっちにもマイナス。その最たるものが戦争です」と言っている。その通りである。この張本さんの思いを共有することにより平和で安心した社会になるのである。

久し振りに心にしみる話に触れ、勉強になった。人それぞれに人生航路があり、その人生の中で人物が作られ、世に出て行くことを歴史は照明しているとつくづく思ったものである。

温室に大木なし(恵まれた環境では人材が生まれない)、寒門に硬骨あり(厳しい環境から人材が生まれる)である。