昨日、菅官房長官は沖縄の翁長雄志知事と会談している。その中で菅官房長官は、6月25日の自民党本部で行われた百田なにがしを講師として開かれた若手自民党国会議員の勉強会で、沖縄県民に対し、差別蔑視する様な発言があった事に、「大変ご迷惑をかけた。申し訳なかった」と陳謝したと報道されている。(北海道新聞朝刊4面)

 翁長知事も「沖縄側からすると残念な事だったが、菅氏から話があったのは良かった」と話している。翁長知事と菅長官は、会談で「対話を継続」していく事を確認したと伝えられている。  やはり信頼関係構築には直接あって話をする事である。その点では翁長知事と菅長官がテーブルについた事は良かった。
 これからどんな方向に行くのか注目して参りたい。
 沖縄に関連して7月3日の北海道新聞朝刊9面「各自核論」で佐藤優さんが「私は沖縄人、国の差別政策みて意識」という記事に目が留まった。
 久米島出身で昭和20年6月23日いわゆる組織的沖縄戦が終わった時、軍属として働いていたお母さんが7日後、アメリカ兵がきた時、手榴弾の安全ピンを抜き自決をしようといた時、アヤメという名の髭を生やした北海道出身の伍長が「死ぬことは捕虜になってからでも出来る。とりあえず生き残る事にしよう」と言ってアメリカ兵に投降した。
 お母さんは小さい頃から佐藤さんに「北海道のアヤメ伍長が手を挙げなければお母さんは死んでいたんだよ。そうすればマサル君も生まれなかった。アヤメ伍長は命の恩人なんだよ」という話を何回も聞かされたとの事である。
 人生、本当に紙一重の事があるものだとつくづく感じるものである。
 そして佐藤さんは言う。「子どもの頃から沖縄系日本人と考えていた。しかし現在は『日本系沖縄人』と思っている。『お前は日本人か沖縄人か』という選択を求められれば、筆者は躊躇する事なく『私は沖縄人です』と答える。0.6%の陸地面積を占めるに過ぎない沖縄に在日米軍基地の74%を押しつける中央政府の差別政策に対する沖縄人と日本人の認識の差異が、筆者のアイデンティティ変化させたのだ」と書いてある。
 佐藤さんにこう思わせてしまった日本政府は、大きな判断違いを積み重ねてきたと思わざるを得ない。
 私も佐藤優さんと同じ思いであり、同じ価値観を有していきたいと決意するものである。
 2日から札幌に来ているが、今日は天気もよく初夏の北海道、気持ちのよい日和である。
 9時25分から石狩市送毛で松緑神道大和山さんの「送毛聖地祈願祭」に鈴木たかこ代議士と出席し、12時から石狩市新党大地納涼祭に参加し、15時から7月の札幌大地塾、16時からウォーク&トークを大通公園で行う。大勢の人が足を止めて下さり有難い限りだった。
 2、3日の夜は、松山千春さんの春のコンサート最終公演に顔を出し、千春さんから勇気と感動を戴いた。
 やはり道産子の私は北海道があっていると思いながらの札幌滞在である。


〔第10回石狩浜益朝食会〕

 



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