羽田からの便で釧路に飛び、北海道第7選挙区衆議院議員の伊東良孝氏のご母堂様の告別式に参列する。

 政治の世界いろんな巡り合せ、流れがあるものだが、今、鈴木たかこ代議士と伊東代議士は同じ選挙区での好敵手の関係だが、昭和58年、中川一郎先生が亡くなった時、いの一番に「鈴木宗男出るべし」と声を上げてくれたのは伊東良孝さんだった。あの時、先頭に立って私を応援してくれた姿を私は忘れたことはない。そして奇跡の当選と言われた厳しい選挙戦を勝ち抜くことができた。

 昭和60年10月の釧路市議会議員選挙に伊東良孝さんは出たいというので鈴木宗男後援会上げて応援し、当選させることができた。

 平成7年、選挙制度が中選挙区制から小選挙区制になり、私は主たる地盤である十勝から釧せん根こん地区(現在の7区)に国替えになった。
 
平成7年4月の統一地方選挙で、中川昭一後援会・武部勤後援会・鈴木宗男後援会保守大同して伊東良孝さんを道議会議員に送り出すことができた。

 平成10年までは二人三脚で政治活動してきたが、平成11年4月の北海道議会議員選挙に私の秘書の蝦名大也現釧路市長が立起することになり、伊東良孝さんは北村直人代議士(当時)の元に走った。

 伊東さんと私とは直接的に何もなかったが、人と人との係りの中で今日こんにちの状態になった。

 政治の世界、権力闘争・世代交代、色んなことがあるものだと告別式に参列しながら33年前からの出来事に思いしたものでる。

 私は人間関係を誰よりも大事にし、信義を守って来たので後ろめたいことは何もない。だからこそ今も生涯政治家としてそれなりの存在感と発信力があるものと自負するものである。

 正直に生きていれば必ずお天道様がみていると自分自身に言い聞かせ、私の生き様をして参りたい。

 昨日、今日と釧路に帰って多くの人と顔を合わせるとロシアの国家院上院で可決されたサケ・マス流し網禁止法案で来年から漁ができなくなると心配の声が寄せられる。

 昨日、今年の操業に向け、根室から出港したが、乗組員の皆さんはどんな気持ちでいるかと考える時、やるせない思いで一杯だ。