今日は沖縄慰霊の日である。先の大戦で米軍の厳しい攻撃で約20万人の戦死者を出した沖縄戦が終結した日である。

 この戦いで沖縄の皆さんの犠牲は軍人で約12万人、更に軍属民間人合わせると約16万人とも言われる。

 沖縄人以外で一番戦死者を出したのは北海道出身者で、なんと約1万1千人にのぼる。満州にいた部隊が最後の本土決戦ということで沖縄に回されたからと言われる。

 ちなみに北海道の次は福岡県の約4千人、東京が3千5百人、兵庫県が3千2百人、愛知県3千人、鹿児島県が2千9百人である。
 
 沖縄には47都道府県の慰霊の碑が立っているが、その中でも一際大きく広いのは北海道の慰霊碑であり、北海道人の犠牲者が多かったことに対する敬意と感謝を表す配慮である。

 私が沖縄に対して沖縄の特産品であるサトウキビの政府保証価格、基地の整理縮小統合、学童疎開船対馬丸の発見、県道104号線越え米海兵隊の155㎜榴弾砲実射訓練の私の地元、北海道別海町矢臼別演習場への受け入れ、サミットの沖縄開催決定と、様々なことに係って来たのは先人の犠牲の上に今日こんにちの平和がある時、今生きる政治家として沖縄に思いを致したからである。

 11時50分から沖縄全戦没者追悼式で翁長雄志沖縄知事は普天間の辺野古沖への移設は沖縄の民意から困難とし、工事の中止を求めた。私は翁長知事の発言を全面的に支持し、応援していきたい。

 一方、安倍首相は普天間の移設、辺野古については触れなかった。翁長知事の沖縄県民の魂のこもった叫びとも言うべき言葉に政府は耳を傾けるべきでないか

 間違った判断は変えればよいのである。日米両国政府で決めたことだから普天間飛行場の移設は辺野古沖だと決めつけるのではなく、状況の変化によって判断するのも現実的な生きた政治ではないか。

 1952年、日本は独立したが、沖縄は取り残されたのである。

 戦後70年、差別といってもよい27年間米国の施政権下にあり、今尚、日本の面積のわずか0・6%の沖縄に、日本に駐留する米軍の74%が沖縄に集中しているのはあまりにも過重な負担である。

 私は沖縄の思い、心をしっかり受け止めて沖縄の心ある皆さんと共に手を取り合って参りたい。