昨日、沖縄で雨のなか県民集会が開かれている。1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効で本土の独立はかなったが、沖縄県は米国の施政権下になった「屈辱の日」であるからだ。

 この苦しい痛みの歴史を沖縄県民は胸に刻んでいる。本土に対し、どうして沖縄県を差別したのかという思いがある。
 昨日の集会で「名護市辺野古には新基地を造らせない」と怒りの声が上がったと報道されている。
 日米首脳会談で名護市辺野古への新基地建設が唯一の選択肢と再確認しているが、沖縄県民は昨年新基地反対の市長、知事を選んだのである。
 民主的手続きで選ばれた沖縄の声にどうして耳を傾けないのか。民主主義で一番大事な事は手続であり次に中身である。
 沖縄に過重ないや異常とも言える駐留米軍の74%もの負担をさせておきながらその沖縄県民の最大公約数に応えないやり方は無理がある。一呼吸おいて沖縄県民と向き合うことが大事である。懐深く心の通った対応を強く望むものである。
 安倍首相は27日、ワシントンのホロコースト博物館を訪れている。そして次のような発言をしている。
 「本日はまた人間の善意についての希望を思い起こさせてくれる特別な出会いがありました。リトアニアで杉原千畝が発給したビザによって命を助けられた人々との面会です。一人の勇気ある行動が何千と言う尊い命を救うことが出来ました。そして彼のビザで日本に向かったユダヤ難民を助けた日本の人々も少なからずいました。彼らの勇気に私たちは習いたいと思います。また、こうした日本人が居たことを私は日本人として誇りに思います」(東京新聞2面)。
 杉原千畝氏の名誉回復は私が外務政務次官の時、政府特使として51年振りに日本との外交関係樹立に向かう際、実現したものである。
 当時、外務省は「名誉回復は必要ない」という姿勢だった。
 私は3日かけて外務省の佐藤官房長(当時)を説得し、名誉回復を果たし後に外交史料館に顕彰プレートも作ったものである。
 1月、イスラエルを訪問した時も安倍首相は杉原千畝氏について触れているが、名誉回復をする際、外務省はどんな態度だったのか判った上で発言しているのだろうか。
 一部、外務官僚の出世主義・事なかれ主義・面従腹背・厚かましさ、何よりも人間味のない、心のない官僚に良い外交は出来ないと思うのは私だけでなないだろう。
 こうした点をしっかり指導・監督するのも最高権力者の責任と思うのだが。それをやってこそ正に真の政治主導と思うのだが。