今朝の東京新聞21面に「受刑者 手錠外し出産へ 法務省新指針 手紙での訴え契機」と言う記事に目が止まる。

 記事によると岐阜県笠松刑務所に収監されていた女性が内縁の夫にあてた「手錠をはめて分娩台に乗るようです。悲しいけど…。仕方ないと思って、今は現実を受け入れています」という手紙がきっかけという。
 逃げ隠れ出来ない出産時の状況を考えても手錠をかけて今迄出産させてきたと言うこと事態、いかに法律があるからと言っても人間的でない。
 法律を作る立法府、国民から選ばれた国会議員がいかに現実を知らなかったか。私も含め、反省しなくてはいけない。
 私事だが、私も喜連川社会復帰促進センターに収監中、食道がん手術の直後で3カ月に1回、宇都宮市内の民間病院で内視鏡検査を受けた。その際、手錠をはめられての検査だった。
 殺人・強迫始め、暴行・放火の凶悪犯なら念には念を入れた対策を講じることは理解するが、経済犯や政治犯、初犯等、事件の内容によって対応をかえることを考えるべきだ。
 手錠をしなくても刑務官が立ち会っており、刑務官がしっかり職務を全うしていれば逃げられることはない。しかも1人の受刑者に2・3人刑務官は付いている。税金・経費の無駄遣いである。
 笠松刑務所の女性受刑者の人として当たり前の思いをつづった手紙が一つの変革をもたらしたが、選挙で選ばれた国権の最高機関に籍を置く国会議員はより国民目線で、すべてのことに万般の配慮、注意の感覚を持って責務を全うしてほしいと願ってやまない。
 今年もあと一日となった。穏やかな日和で自然に感謝するものである。