昭和39年(1964年)10月10日、東京オリンピック開会式が行われた。
 絶好の天気に恵まれ、ブルーインパルスの五輪の輪が見事に5色、大空に造られた。
 翩翻(へんぽん)と翻(ひるがえ)る日の丸の神々しさ、聖火最終ランナー坂井選手の聖火台に向かう軽やかな足取り、ファンファーレが高らかに鳴った。
そのファンファーレ奏者は陸上自衛隊の渡辺さんだった。後で判ったことだが、私の足寄高校の先輩だった。
もう50年前のことになるが、今も鮮明に想い出される数々のシーンである。
 敗戦から19年、見事に立ち上がった日本の姿を世界に示した日でもあり平和の祭典、オリンピックを予定通り特別の混乱、トラブルミスもなくやり抜いた日本であった。
 当時高校2年生の私にとって、それは大きな感動と夢を与えてくれた。
神様がもし時間を戻してくれるならあの高校2年のオリンピックの時に戻りたいと思うものである。
 日本国民が一つになり、心を通わせての東京オリンピックであったとつくづく思うものである。
 あれから半世紀、日本は華麗なる発展を遂げたが、「物豊かにして心貧しき日本」と言われるようになってしまった。
 節度・信義・道義・日本人の美徳とされた心が失われ、忘れ去られてしまった。
 政治家が自分だけ良ければ良い、自分中心の利己主義的考えになり、更に競争原理・市場原理で強い者はあくまで強く、弱い者は立ち上がれない弱肉強食の社会となって行った。
 私は新党大地代表として政治は弱い人の為にある、政治は恵まれない地域の為にあるという原点を忘れず、与えられた立場で最善を尽くして参りたい。
 もし神様が2回時間を戻してくれるなら、2回目は平成8年から12年頃に戻してもらいたいものである。
 私が国政の第一線にいた頃、まだ地方が元気で活気があり北方領土問題解決の道筋を作れた頃に戻れるならばと、考えるものである。
 私には夢がある。「北方領土問題解決」と「北海道が良くなれば日本が良くなる」「明日の日本を創る北海道」と言う壮大な事業に向かって諦めないで取り組んで行くことである。
 東京オリンピック開会式を改めて想い出し、エネルギーを充電することが出来た。