御嶽山の救助活動が自然との向き合いの中で時間がかかっていることにもどかしさを感じる。
 いかに科学技術が進んでもやはり自然のエネルギーの大きさを改めて考えなくてはならない。
 自然に対する畏敬いけいの念・感謝の心を持つことが大事ではないか。
 一年前の今日、横浜の踏切で動けなくなったお年寄りを発見した村田奈津恵さんがお父さんの制止を振り切り、助けに行き、自分は犠牲になったがお年寄りは無事助かった。
 瞬時の判断で自分の命と引き換えに他人を助けた決断をなんと称え、表現すればよいのか今も言葉が見つからない。
 よく政治家が「命をかけて、命がけで」と簡単に言うが、何人の政治家が体を張ってやって来たか。
 村田奈津恵さんの100分の1、いや1000分の1の気持ち・心を持つ必要があると自分自身に言い聞かせるものである。
 衆・参国会議員も一年前の村田奈津恵さんの尊い行為を胸に刻んで国政に参画してほしいと願ってやまない。
 あわせて我々の身近に凄い、素晴らしいお手本になる「人」が居ることに感謝と誇りを持つべきである。
<  昔の偉人・歴史上の人物も大事だが、庶民の中に偉大な人が居ることをよくよく考えるべきである。
 村田奈津恵さんの一周忌にあたり、心からのご冥福をお祈りしたい。
 ご両親はお元気でお過ごしだろうか。忘れることのない、消えることのない悲しみとどう向き合っておられるだろうかと自問自答するものである。
 石川ともひろ前代議士より昨日付で上告棄却の決定がなされたと連絡を受ける。
 日本は法治国家で三審制度と言いながら実際審理されるのは一審・二審で最高裁は書類を見ての判断である。
 それも最高裁判事が一審・二審の公判記録を見るのではなく、調査官と称する人達が書類を作り判事が判断するやり方である。本当の意味で真実が明らかになるかどうか疑問は残る。
 石川ともひろ氏の場合、検察は小沢一郎先生を狙い、その階段として石川氏が逮捕されたものである。最初に小沢ありきで石川氏はそのステップだった。
 小沢先生は無罪になったのであるから石川氏も当然無罪になってよいと思っていたがそうはならなかった。
 石川ともひろ氏はまだ41歳、将来に向けて十分時間がある。3年間選挙には出られないが、今回の事態を充電期間と思って前向きに生きて戴きたい。
 必ず時が解決してくれる。石川氏にとは何事につけよく相談して参りたい。かけがえのない同郷の者として一心同体である。
 やる気のある若い政治家を育てるのが先輩党人政治家としての責務であるから。
 石川ともひろ氏がいつの日か必ずカンバックすることを信じてやまない。