昨日の東京新聞31面「靖国合祀憂う 戦争悔いる」という見出し記事がある。
 「歌に浮かぶ昭和天皇の思い」と1983年から昭和天皇の歌の指導・相談役を務められた歌人の岡野弘彦氏の証言である。記事の一部を読者の皆さんに引用したい。

 この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし
 86年秋、徳川氏が持参した中にこの歌を見つけた岡野氏は、その内容にはっとした。聞くと、A級戦犯合祀への憂いという。そうであるとして、上の二句がどうもこなれていない。
 「そのことを言うと、徳川さんは『当初の陛下の歌では、合祀への不快感の表現が直接的にすぎていたので、入江さん(故入江相政侍従長)と私が陛下に申し上げて、このようになったのです』と言われ、私は納得した。昭和天皇は『合祀は将来に禍根を残す』と言われたという。それが記憶にのこっている」
 合祀は78年。その後、憂いの日々が続いていたようだった。
 実録は86年の終戦記念日に項にこの歌を記す。

 天皇陛下がA級戦犯合祀に納得されていないことが伝わってくる。昭和天皇のお心・お気持ちを理解されず、遺族会とも十分な相談もせず合祀した当時の宮司は何を考えていたのだろうか。
 昭和53年まで靖国を参拝されていた陛下が参拝出来なくなったのである。内閣総理大臣もお参りしていたが出来なくなったのだ。
 この点、「昭和天皇実録」に沿ってしっかり検証すべきである。そして英知を出してもとの靖国神社に戻すことが一番ではないか。