広島市安佐北・安佐南区での土砂崩れは時間が経つにつれ、大きな被害になっている。ただただお悔みとお見舞いの気持ちで一杯だ。
 救助に駆けつけている消防士が幼児を抱えている所に土砂流がきて2人とも遺体で見つかったという報道を見るにつけ、何とも言いようのない世の無常を感じる。自然は時には厳しい現実を突きつけるものである。
 振り返って見ると広島市では時々何年に一度の割で、土砂崩れで被害が起きている。
 市が都市計画・住宅建築許可等、自然災害に対してしっかり過去の経験や出来事を踏まえてやって来たのか。行政としての甘さがあったのではと考えるものである。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とよく言われるが「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉を今一度頭に入れて、司々つかさつかさの人は向き合うべきではないか。
 夜中の出来事とはいえ、大雨が来ることは事前に予報で判っていた。人命に関することは何時いかなる時間でも最優先で対応すべきである。
 避難勧告を出したのが土砂崩れ通報から一時間以上経っていたというのでは亡くなった方々が可哀想である。
 被害に対して危ない地域は行政と地域住民の日頃からの意志疎通が大事であることを今回改めて知らされた思いである。
 悲しい不幸な出来事をなくす上でも、広島の教訓を活いかすべく手を打って行ってほしいものである。
 それにしてもここ数年、ゲリラ豪雨や局地的大雨での災害が多い。地域温暖化、自然環境の変化等、人知じんちを超える何かが動いていると感じるものである。
 科学技術の発展は人類により文化的な生活をもたらしたが、これ以上便利になる必要があるのかと考える時期に来ているのではないか。
 物優先で心を無くしている人間の営みに自然が警鐘を鳴らしているのではと思うものである。
 朝の便で大阪に向かい、用事を済ませ、大阪から羽田経由で帯広に行く。
 19時から異業種交流会で講師を務める。西から東と今日もあっという間の一日だった。