昨日来、今朝もTV、新聞は袴田事件再審決定を大きくとりあげている。
私もTV、新聞を見ながらつくづく感じたのは、袴田巌氏のお姉さんが果たした役割は、計り知れない兄弟愛に満ちたものだった。「弟を助けたい」という一念が、昨日の再審決定につながった。
それにしても「5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によって、捏造(ねつぞう)された疑いが相当程度あり、その他にも自白調書のほとんどが、任意性を否定されたり、清水郵便局で発見された紙幣入りの封筒も、捏造(ねつぞう)の疑いを払拭できないなど、捜査機関の違法、不当な捜査が存在し、又は疑われる」と、判決文にあるが、これを警察、検察はしっかり受けとめてほしい。
「DNA鑑定等の新証拠の影響により、その証拠価値が、ほとんど失われたものもあり、自白調書について、念のために検討しても、それ自体証明力が弱く、その他の証拠を総合しても、袴田が犯人であると認定できるものでは全くないことが明らかになった」とも書かれている。
ここで重要なのは、密室での取り調べの問題である。
警察、検察のシナリオ、ストーリーにそって誘導され、事実ではないことを言わされてしまう。だから「可視化」をしなければならない。警察、検察の名誉、信頼回復の為にも「可視化」することにより、冤罪(えんざい)は著しくなくなるのである。
私自身、東京地検特捜部から取り調べを受けた際、様々な誘導、又、圧力があった。
「奥さんも逮捕されますよ」とか、「政治家を辞めたほうが罪は軽くなります」とか、「娘さんが心配してますよ」と神経戦をかけてくる。
私は疾しい(やましい)ことはしていないので、検察の口車にはのらなかった。途中、折れそうになり、検察と握ろうかと思ったこともあったが、自分が自分に嘘をついてはいけないと断固闘った。それで、437日間拘留された。
読者の皆さんも、袴田事件を機に、改めて取り調べの「可視化」の声を上げていただきたい。
悪しき権力に狙われたら、明日は我が身という思いを持っていただきたい。そして、検察はどの事件でも証拠の全面開示をすべきである。検察に都合の悪いものは出さず、都合のよいものは出すとした、悪しきやり方は止めるべきである。
「可視化」と「証拠全面開示」を強く訴えるものである。
歴史の1ページを飾る判決ではあるが、袴田さんの48年間は戻ってこない。
事件を無理矢理作り上げた警察、検察関係者に言いたい。
「あなた方は、人間として、人として、許されないことをしましたね」と。死刑を言い渡した裁判長に「あなた方裁判官は、検察の密室で作られた正しくない、真実でない調書を鵜のみにしましたね。それが問題なのですよ」と、これら関係者で生きている人がいるなら、袴田さんに心から謝ってほしいものだ、人の道としての姿を示してほしいものである。
検察がよもや即時抗告をするなどという、人間的でない馬鹿なことをしないでほしいと、心から願ってやまない。