昨日、参議院国家安全保障特別委員会は特定秘密保護法案を自民党・公明党で強行採決した。
 国民の多くが、70%もの人が慎重審議を求めているにもかかわらず、力で、数で、上から目線で強圧的に議事運営をするやり方は民主的でない。
 4日、さいたま市大宮区で開かれた特定秘密保護法案の地方公聴会では、突然前日に開催が決まり、傍聴人はたった30人だったという。
 意見陳述人にも前日の夜10時に話があったとのことで、なにかチグハグである。1日、2日を争う法案ではない。極力国民に情報開示と情報の透明性を図り、念には念を入れた説明をすべき法案である。
 国会において3分の2を占める与党が、堂々と受けて立つ姿勢を示すことが求められている。
 NSC(国家安全保障会議)の審議にしても、今回の特定秘密保護法案にしろ、余裕を持った審議により1人でも多くの人に理解してもらうことが大事ではないか。
間違った手法、手段を選ばないやり方は、どこかでほころびが出てくるのではと心配するものである。
 南アフリカの元大統領 ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。オバマ大統領はじめ、世界中の指導者が敬意と哀悼の意を表している。
 アパルトヘイトと闘い、95年の人生の中で27年余りに及ぶ服役を得て保釈され、その後大統領になった。
 1990年10月・1991年4月・1995年7月と3回来日されており、私も何回かお話を聞く機会があったが、このマンデラ元大統領の「堅忍(けんにん)不抜(ふばつ)」の心意気に心打たれたものである。
 私が外務政務次官の91年7月、日本の政府高官として29年振りに南アフリカを訪問した。
 マンデラ氏が議長を務めるANC(アフリカ民族会議)のナンバー2 シスルー副議長と会談した時、シスルー氏が「私は命をマンデラ氏に預けています。マンデラ氏と一心同体ですと涙ながらに話してくれた。マンデラ氏の留守の間、私はANCを守りました」。
 その言葉を聞いてマンデラ氏の偉大さを、人としての素晴らしさを感じたものである。
 この私の南アフリカ訪問により日本政府は経済制裁解除をしたのである。もう22年前のことになる。
 私自身、権力闘争の側面のある国策捜査に合い、逮捕され1年3カ月の拘留、1年間の収監生活を送ったが、その時も「マンデラ大統領に比べたまだ楽だ、命までとられない」と自分自身に言い聞かせたものである。
 マンデラ大統領の尊く重い95年の人生を心から称えてやまない。