今日の北海道新聞3面に2010年9月、沖縄県尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船に中国漁船が衝突した事件で逮捕した中国人船長の釈放について当時、官房長官だった仙石由人氏が「政治関与」があったとインタビューで明らかにしている。インタビューは次の通りである。

 ・沖縄県・尖閣諸島沖の漁船衝突事件で、中国人船長の逮捕はどのように決断したか。 
「<海上保安庁から」逮捕しましたって話で来たから。僕にとっては公務執行妨害の現行犯逮捕みたいな感覚で、その手続きを正式に進めるかどうかという話だった。岡田克也外相(当時、以下同)も前原誠司国土交通相も真面目で、岡田君は『これはけじめをつけよう、当たり前だ』という話だった。僕は、これは政治的配慮をする必要があるかも分からんと思い、そういう問題提起もしたが、これだけのことをやってくるんだからやりましょうという話で、手続きに入った」
 
・その後、フジタ社員の拘束など中国側の対抗措置が始まったが。
 「解決の方策は何かを一生懸命探った。日本の司法過程に入ると、こいつを釈放しろなどということはできないと、繰り返し中国側に説明した」
 
・釈放に際し、那覇地検は「日中関係も考慮した」と説明した。
 「(横浜市での)アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を控え、温家宝首相や胡錦濤国家主席にどう対応するかが課題だった。APECに中国が来ないと日本のメンツが丸つぶれになる可能性もあるし、中国も国際的にいいことではない。どうするのか。これは菅直人首相も大変焦りだした。『解決を急いでくれ』というような話だった」
 「並行して大阪地検(特捜部の証拠改ざん)事件が発生した。法務省の管轄内の話が立て続けに起こり、法務事務次官と私が会う時間が大変が大変長くなった。だから時間に対し、言葉としてはこういう言い方はしていないが、政治的・外交的な問題もあるので自主的に検察庁内部で、ありていに言えば(船長の)身柄釈放することをやってもらいたい、というようなことを僕から言っている。しかし、法務省がどうしたかは分からない」
 「(法務・検察当局から)外務省の課長に参考にとして聞きたいという話があり、『外務省の立場をよく説明してこい』と僕が言って、それで(課長が那覇地検に)行った」
 ・釈放自体は地検の判断か。
 「そうだ」
 ・釈放後に民主党の細野豪志氏が訪中した。戴秉国国務委員と会ったのか。
 「戴秉国に会えるなんて全然考えてなかった。細野君は小沢一郎氏の下で中国と関係を持っていたから、『ちょっと情報を仕入れてこい。日本が何をかんがえているか、きちっと伝えてこい』と(指示し)、細野君が党独自の、あるいは細野君の立場として行ったということにした」
 
・その後、戴秉国と仙石氏が電話会談した。
 「お互いにいがみ合って生きていくわけにはいかない、と。今回はお互いのホットラインもなかったし、齟齬(そご)がだいぶあったみたいだから、ということで終わっている」
 
・尖閣国有化の是非は。
 国有であろうがなかろうが関係ない。日本はこの問題では毅然(きぜん)とし、しかし、双方が実力行使するということだけはあってはならないと確認し合うしかない。ホットラインをつくり、まさかのアクシデントが起こらないようにしなきゃいかんということが総括だ」
 
・現在の日中関係は。
 「中国との関係は、お互いの政治家がナショナリズムをどうコントロールできるかだ。国民に対して一文の得にもならないようなあおり方をしてはならない。21世紀の未来志向の戦略を日本があらためて出さないと、なかなかしんどいだろう」

 このインタビューからして外交経験が乏しく、戦略・戦術のない対応であったかが伺い知れる。
 菅首相といい、仙石官房長官といい、国益を堪えず考える頭作りが出来ていなかったことが分かる。
 消費増税にしろ、TPPにしろ、菅首相が突如言い始めたものだった。官僚政治打破と言いながら、官僚の手のひらで動いていたことが透けて見える。
 振り返ると日本の一番不幸な政治体制だったと思うのは、私一人ではないだろう。
 18時30分から9月大地塾例会。なんと森元首相が来て下さり、日露関係について30分近くお話をして下さる。
参加されている人達も森元首相のお話に大満足と納得であった。森元首相の温かい人間味に感謝するものである。
人間関係はやはり尊く、重いものであるとつくづく感じたものである。