読者の皆さんに昨日約束した木村汎北海道大学名誉教授のことに関しお伝えしたい。
 2006年(平成18年)10月号「正論」96ページ「コミンテルンと日本、その秘密諜報戦をあばく」 ロシア科学アカデミー東洋学研究所先任研究員 アレクセイ・A・キリチェンコ氏が112ページから114ページで「コラム・ヒサイチ氏を追う」と言う欄で次のような記述がある。
 
「ソビエトの現実を知るためなら、コムラは通常の違反を前にしても停まることはなかった。たとえば、春のある休日、外国人の立ち入りが許されていない閉鎖地域(ソ連時代にはこのような地区があちらこちらにあった)にある、彼の知人である女性のダーチャ(別荘バンガロー)に彼女と一緒に言ったことがある。」(中略)
 
「ソビエト反体制派の人々との交際で明け暮れた2年が経ち、コラムに帰国のときが来た。普通、日本の外交官は、家財道具を鉄道便でナホトカまで送り、そこからコンテナを船便で横浜へ発送することにしていた。家財道具の輸送は、全て正常に行われたが、コンテナ詰めの荷物については、コムラは不運だった。シベリアのどこかの駅で、泥棒たちが日本外交官のコンテナを開けたのだった。
 泥棒たちにとって、特に金目のものは見つからなかったようだが、地方の官憲は事故報告書を作成し、モスクワの支持を仰いできた。開かれたコムラのコンテナの中から、ソ連では国外持ち出しを禁じられている物品が出てきた。特に、当時、密輸によってロシアから持ち出されていた時代物のイコンが見つかった。また、数冊の反ソ出版物と、なにやら日本語で書かれたメモ類も出てきたという。(中略)
 
「一枚一枚に『極秘』というスタンプが押されていた。この押印は、おそらく日本の外交官たちが、この書類を丁重に扱い、秘密扱いを守り、取扱いの規則に違反しないための措置だったのであろう」(中略)
 
 「ソ連は15年前に崩壊した。現在、コムラ・ヒサイチ氏は活発にロシア連邦と戦っている。不思議なことに、彼はいつも米国の諸要求を揚げて、歩調を取って歩いている。その要求は、必ずしも日本の国益に常に合致しているとは思えないのだが…」

 何とこのコムラ・ヒサイチ氏は木村汎氏のことであると言われている。
 外国人の立ち入りが許されていない地域への旅行、イコンの持ち出し、秘密電報の届洩等やってはいけないことをしてきた木村汎氏が森元首相を批判したり、説教じみた話をする資格はないと断じたい。
 木村汎氏は昨日の産経新聞正論の中で「『外務省に指示を出そう』とは平和条約交渉を「他人事」(袴田茂樹・新潟県立大学教授)のように見なす無責任な態度である」と袴田教授発言も引用している。袴田教授も「北方領土ビジネス」で生きている人で同類項である。
 2006年(平成18年)10月号のテーミスで佐藤優さんがコムラ・ヒサイチ教授、袴田茂樹教授のことについて触れている。
 私はそれなりの関係者から木村氏や袴田氏の行状は良く聞いている。私自身も袴田氏から外務省を恫喝するように頼まれたりした経験がある。
今まで静かにしてきたが、日露関係のことを、北方領土問題解決を案じる一人として、そろそろ「北方領土ビジネス」で国益を既存している高名な人達の真実を明らかにして行くことが今こそ大事だと思い、又、私の決意として読者の皆さんにお知らせして参りたい。
 正直者が馬鹿を見ない世の中にする為にも。