北海道に来て多くの人にお会いするが、必ず話題になるのは「北方領土問題はどうなるのですか。動きますか。」という話である。
 5日、サンクトペテルブルグで安倍-プーチン会談が予定されているが、国家主権、就中(なかんずく)領土問題に関しては、日露両国の最高首脳の決断しかない。両首脳の信頼関係が北方領土問題解決に繋がる。
プーチン大統領は2期大統領を務めるであろう。安倍政権も2期6年の長期政権の可能性が今のところ高い。両国の安定した政権は北方領土問題解決には必須条件である。
2月21日、森元首相はプーチン大統領と会談し、4月29日の安倍-プーチン会談への絶妙な橋渡しをした。
この時、プーチン大統領が言った「引き分け」の意味を良く考えなくてはいけない。外交には相手がある。お互い国家の名誉と尊厳がかかっている。一方が勝ち、一方が負けと言う外交は有り得ない。相方負けなかったと解釈できる道筋を付けていくしかないのである。
 平成13年3月25日、イルクーツク声明では歯舞・色丹2島の引き渡しを明記した日ソ共同宣言の有効性を文書で確認している。このイルクーツク声明をスタート台にして北方領土問題を解決するしかない。4島を還してもらうにはどのようなアプローチがあるか、冷静に考えるべきである。
 よく「鈴木宗男は2島先行返還、それは2島ポッキリになってしまう。ロシアの売国奴」とまで11年前言われた。私は4島問題を解決するには入り口論より出口論を考えた。
 2000年、プーチン大統領になってからロシアは再々56年宣言は日本の国会、ソ連の最高会議が○○したもので法的に有効であると言って来た。日本側が先ず4島ありきの柔軟性のない頭作りで頓挫(とんざ)してしまった。
 「4島一括返還」と、原理原則を一億回叫んでも解決しない。空想的な話より現実的な話し合いをするしかないのだ。
 平成3年4月、ゴルバチョフ大統領が訪日し、ビザなし交流の提案があり10月にまとまった。その時私は外務政務次官だった。
平成7年、ビザなし締結から5年と言う節目で国会議員もビザなし交流に参加できるようになり、戦後日本の国会議員としてはじめて衆議院沖縄北方特別委員長として島を訪れることが出来た。そこで前年秋の根室東方沖地震で壊滅的被害になった島の現状を見て人道支援を私は進めたのである。
平成10年6月には戦後初めて閣僚として島を訪問することも出来た。
北方4島に住んでいるロシア人にとってそこは故郷であり、祖国である。
島の日本化を図らなくてはいけないと考え戦略的に人道支援をしたが、11年前「ムネオハウス」「人道支援のやり過ぎ」等批判された。
私が表舞台から離れて島は急速にロシア化が図られてしまった。小泉首相・田中外相の出現により更にその後、空白の10年とメディアで言われるようになった。
 安倍政権になり4月29日の首脳会談で平成13年3月25日のイルクーツク声明の段階に戻ったと認識する。5日の首脳会談で安倍首相から北方領土問題解決に向けて日本からカードを切るべきである。
 歯舞・色丹の具体的引渡し協議と、国後・択捉については当分は共同管理、共同統括とする。その為には両国の外務当局にどうしたら可能になるか、法的な枠組みを検討させる。
更にプーチン大統領は極東発展に大きな関心を有している。ストロイピンの銅像を作った位だから極東での具体的経済協力を更に加速させ、特に北方4島に日本の企業を進出させ共同経済活動を4島で行うと提案すべきである。
ロシアの許可をもらって仕事をするのはロシアの主権を認めることになると外務官僚は言うが、両国の最高首脳が北方4島は係争地域未解決の地域と認め話し合いで解決しようと世界に公言している。
領土問題なしとしたソ連時代の頭作りでは何の前進もない。共産主義ソ連はなくなり自由と民主のロシアである。ソ連時代の受け止め、認識とキッパリ決別し、現実的判断で交渉して行くべきでないか。
領土問題アリと認めているプーチン大統領である。胸襟(きょうきん)を開いて信頼関係の下で安倍首相の強いリーダーシップにより歴史の一ページを作ってほしいと願ってやまない。