昨日は68回目の原爆死没者慰霊式並びに平和記念式典が行われ、改めて「核廃絶」が世界平和への道だとつくづく思ったものである。
 オバマ米国大統領がプラハにおいて「核廃絶宣言」を行い、ノーベル平和賞を受賞したことを政治家等しく考えるべきである。
 政治家の究極の目的は、世界平和であることを心しなくてはならない。
広島原爆で想い出すのは、家内の父のことである。原爆被爆者でいつも被爆者手帳を持っていた。
原爆被爆者に対し被爆者援護法はじめ、さまざまな保障、制度が考えられていた時だったが、義父は「戦争で亡くなった人も、シベリアで亡くなった人も、空襲で亡くなった人も、原爆で亡くなった人も、あってはならない戦争の犠牲者だ。戦争をしてはいけないのだ」といつも会うたびに言われたものである。
この言葉の重みを私は忘れたことはない。庶民の中にしっかりした人が居る。その姿勢を政治家は見習うべきではないか。
今朝の産経新聞1面トップで「首相 内閣改造、年末以降に 課題山積 自民幹部に伝達」と言う大見出し記事がある。
現閣僚、党幹部の中にはホッとした人もいることだろう。一方で大臣待望組は年末かとガッカリした人もいることだろう。ポストを巡り政治家の悲喜こもごもが、一瞬繰り広げられる。
わずかな時間に多くの政治家が願望と夢を持つのである。外から見ていると冷静にかつ、さまざまな人の思いが伝わってくる。
果報は寝て待てである。