私は子どもの頃、お金の心配なんてしたことがなかった。
今でもよく覚えている。
コンビニの募金箱や、神社のお賽銭に
千円札、時には1万円札を笑顔で募金していた。
(どんな金持ちやねん!笑)
「お金は、いつでも入ってくるもんね!」
お金の価値がわかっていなかったのかもしれない。
自分の手元になくても、必要な分は手に入った経験からかもしれない。
そんな良くも悪くも純粋無垢な私のお金への価値観は、
大人になるにつれて歪んでいった。
・自分のお財布からお金が減っていくのが怖くて、必要なものに使えない
・人に奢ってもううのが申し訳ない
・ボランティア(無償)で人に感謝されるのが楽で心地いい
・自分には良いお金の使い方ができないから、寄付をして人に託そうとする
気づいた頃(20歳前後)には、こんなお金の価値観が出来上がっていた。
一言で言えば、
「私にはお金をもらうだけの価値がない」
という価値観。
なぜこんな風に、自分の価値をお金と比べて下に見てしまうのか、自分でもわからなかったし自覚もなかった。
ある本に出会うまでは。
それが、この本。
一気に惹き込まれた。
平日の休み丸一日を使って、本の中のワークに全部一気に取り組んだ。
今まで、
「夢を反対された」
「実家はいつも誰か不機嫌で居心地が悪い」
「過保護で厳しく自由がなかった」
という嫌な記憶ばかりだった幼少期。
でも、ワーク一つひとつに真剣に取り組むうちに
「父は車の送り迎えをいつもしてくれた」
「母はいつも私の話を聞いてくれた」
「祖父母は私に甘かった」という
親なりに、不器用なりに、家族みんなが私を
ちゃんと愛してくれていたことを思い出すことができた。
私って愛されてたんだ。
ううん、今も親なりに愛してくれているんだ。
そのことに気づくと無性に嬉しくて
大号泣して涙が止まらなくなった。
(スタバでやってたんだけど笑)
自然と、親への感謝の気持ちが湧いてきた。
そのワークから約1ヶ月後。
ある事件が起きた。
夜寝ていると、旦那さんに起こされた。
「救急車呼んで」
突然のことで、言葉の意味がよく理解できなかった。
「救急車!」
胸を押さえて、苦しそうに体を丸くして訴えてくる。
ようやく意味のわかった私は、慌てて119番。
呼吸も荒く、胸の痛みに大の大人が涙を流して苦しんでいた。
声も出ない程。
「もしかして、死んじゃうの???」
最悪の未来が頭をよぎる。
救急車が来るまでの10分間が、何時間にも感じた。
検査の結果、「胸膜炎」だった。
肺炎が悪化し、肺の周りの膜まで炎症が広がる病気だ。
命に別状はなく、しばらく安静にとのこと。
心底ホッとした。
ただ、旦那さんが働けないことで収入が途絶えてしまった。
私もアルバイトはしていたが、月数万円。
旦那さんの看病もあるので、他のところに働きに行くのも難しい。
そんなとき、実家の両親が様子を見にきてくれた。
私は、正直にお金の相談をしようと思った。
「お父さん、、、」
でも、なかなか言い出せない。
そんな私の心境を察したのか、父が言った。
「なんだ。お金の心配か?」
「うん、今月の支払いが何もできていなくて、、、」
「わかった」
一つ返事だった。
また胸膜炎が悪化するといけないからと、旦那さんが仕事を休めるようにと言ってくれた。
その日から、毎月1日と15日前後に
「ほらっ」と20万円を手渡してくれるようになった。
なんと、月合計40万円!!!!!
何もしなくてもお金が入ってきている。
いつも親に否定されることを恐れていた私が、
親に愛されていることに気づき、心から感謝したら
お金という眼に見えるカタチで
親の愛情を改めて受け取ることができるようになった。
まだ旦那さんの体調が本調子とは言い難いけど
お金と心の余裕が出き、
以前とは違う
体に負担のかからない働き方を整えている。
いい年をして親のスネをかじって、
と批判されるかもしれないが
親は子どものピンチを助けたいし
困っている時は頼って欲しい!
と思うんじゃないかな。
少なくとも、私は息子たちにそう思うし
助けられる存在でありたい。
親のサポートがもらえるうちに、
自分たちの働き方や生活、健康を整え
何十倍、何百倍にもして恩を返す!!!
そう、心に決めた。
お父さん、お母さん、産み育ててくれて、いつも支えてくれてありがとう。

