まみーです。

 
 
 

前記事の続きです。

 
 
北九州市が主催する
長崎市平和派遣事業へ息子と参加してきました。
 
 
 
 
 
長崎ブリックホールでの平和記念式典に参加後、
 
 
 
 
長崎原爆資料館へ。
 
実は、初めての来館です。
 
 
 
入場者がかなり多く、時間の関係でゆっくりというわけにはいかなかったけれども、教科書でみた記憶がある写真などありました。
 
 
長崎型原爆の実物模型が展示してあった。
 
こんなものよく落とせたもんだ。
 
なんの罪のない人たちが一瞬で消えてしまった。
 
死者73884人
負傷者74909人
 
 
 
 
 
 
 
原爆資料館から歩いて爆心地公園へ。
 
海外からもたくさんの人たちが訪れてましたよ。
 
 
 
再び徒歩にて城山小学校へ。
 

 

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壁面が黒くなっている校舎は当時のまま残してあります。
 

 
城山小学校で、田中安次郎さんのお話を聴く。
 
田中安次郎さんは3歳のときに被爆。
外の壁の横にいたため、爆風に飛ばされて瓦礫の下に生き埋めになっていたところを
おじさんに発見されて一命をとりとめたそうだ。
 
被爆者手帳をみせてくださった。
 
被爆した後遺症か、皮膚がかさぶただらけになったし
顔をグチャグチャで
子どものころからずっと差別をうけてきたお話や
 
八幡製鉄所が爆撃に備えて煙幕をはっていたということと
前日の大空襲によるモヤ、
悪天候で視界が悪かったことなどの条件が重なったことで
当時、第一投下目標だった小倉には落とされず
第二投下目標の長崎に向かったことなどもお話をしてくださった。
 
その話を聴いたときは、なんとも言えない気持ちになった。
 
家に戻り、煙幕のことをネットで調べてみると、
当時の八幡製鉄所に勤務されていた方々からの証言が2014年7月26日の毎日新聞に掲載。
煙幕のせいで長崎のかたに迷惑をかけてしまったのでは、という
苦悩があったため公言できなかった、ということだ。
 
北九州に原爆は投下されていたかもしれないと思うと、私たちの親もずっとここに住んできたから
もしかしたら私は生まれていなかったかも、ってこともあるんだよね。
 
最後に田中さんから
「たったひとつの生命だから」
この言葉のあとに、あなたはどんな言葉を続けますか?と尋ねられた。
 
そして「平和」ってどんなことだろう?という問いかけ。
 
当たり前の平々凡々な日常が何事もなく続いていくこと、
これが「平和」ってことだよと。
 
ひとりひとりの人の優しい気持ちが「平和」をつくるんだよ、とも話された。
 
田中安次郎さんのお話を息子と一緒に聴くことができたことがよかった。
 
戦争はしてはいけない。
核兵器廃絶。
 
この話を聴いた皆さん方が次の語り部になってください、そう話されたことを胸に刻む。
 
 
校庭の「嘉代子桜」
 
 
 
 
バスで原爆資料館に戻り、館長さんのご挨拶ののち、
千羽鶴の贈呈をして帰路に。
 
 
今年は4年に一度の「平和首長会議総会」が開催された。
 
 
バスの中から路面電車を激写(笑)
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北九州市主催の長崎市平和派遣事業、
初めての参加でしたが、大変有意義な経験でした。
 
バスのなかでは「八幡大空襲」を経験された80代以上の方たちの体験談が収録されたDVDをずっと聴いてました。
 
小伊藤山の防空壕のお話をされている方もいました。
 
戦争の怖さを風化させてはいけない。
 
今後もこの事業を続けてほしいと思います。