まみーです。

 

 



 

8月8日、

地域の市民センターや小学校の家庭教育学級の行事案内に

「八幡大空襲を語り継ぐ」があったので、今年は申し込んでみた。

 


八幡大空襲のことを子どもたちに伝えていくこと、

それは

戦争の怖さ、悲惨さ、平和について考えることにもなる。

 


私の住む地域には、小伊藤山公園(こいとやま)という公園があり

八幡大空襲のとき、そこの山に掘られた防空壕で300人近い人たちが亡くなったのだ。

 

現在の八幡駅からすぐ近く。

 

80才も過ぎた戦争の語り部の方たちは

毎年少なくなっていく。

 

 

私は子どものころからずっと八幡西区に住んでいたし

八幡東区にあるこの小伊藤山公園と、300人の方が生き埋めになった防空壕が同じ場所だったとは知らなかった。

 

中学生のとき、

毎年夏休み前の最後の英語授業には

3年間ずっと、八幡東区のあたりの大空襲の話をしてくれた

ミスター竹尾。

 

竹尾先生は子どものころ八幡東区に住んでいて大空襲にあった。

 

英語の成績はサッパリだったけど、大空襲の話しをしてくださったことはハッキリと記憶にある。

 

 

8日は、市民センターから小伊藤山公園まで歩き、八幡図書館のセミナー室で

地域の方たちと作ったという「八幡大空襲」という紙芝居や

「しらないひと」という絵本

「ちいちゃんのかげおくり」の大型絵本の読み聞かせてもらった。

 




公園まで歩くあいだ、並んでお話しした方は

大空襲のあと、そこらじゅうに倒れている真っ黒に焼け焦げた人たちを

目の当たりして

その死体を山のように積んでいくトラックを何台も何台も見ていたそうだ。

 

平和すぎる時代に生まれた私には、それが現実だったなんて…

という感じだ。

 

しかし、空から爆弾がヒュンヒュンと降ってくるわけだ。

 

嫌だよ、戦争なんて。

 

国家による無差別殺人だわよ。

 

 

翌9日は「長崎市平和派遣事業」という北九州市主催の行事に参加した。

 

これは小5の息子と行った。

 

応募して当選した総勢300人の親子と貸切バス8台連なって長崎市へ。

 






私たちのグループはまず、長崎ブリックホールへ。

 

大型モニター中継による平和祈念式典に参列、献花をさせていただいた。





つづく。