定時制高校へ入学して、本人もやる気を持っていたんだろうと思う。
入学してから一月たったころか、定時制は働きながら学ぶというのが前提で、
先輩が既に働いている会社があるから
そこで働かないか、ということで
朝8時から夕方5時まで勤務して、その後
バスで学校へ行って勉強するという生活になった。
今まで中学校も毎日行くことができなかったのに、いきなりそんなことできるのかと思う気持ちもあったが、朝は勤めに行く私の車に乗せて長男を会社へ送って という毎日で頑張っていた。
会社は工業用ロボットをつくる会社へ納める部品をつくっている下請け会社だった。
中学卒業した子どもにどんな仕事があったのだろうかと思うが、どんなことをしているのかときくと
まあ、何かしてはいるが、何もしないでいる時間もかなりあるようだった。
そこに座ってていいぞ、とか声をかけてもらえるらしいが、本人は何もせずにいる時間がかなり苦痛だったようだ。
雇う側は わかっているから
何もしてなくても全然問題ないのだけど
本人は、自分はいなくてもいいのだろうという捉え方をしてしまっていたとおもう。
やはり ひと月過ぎたくらいから
会社を休むようになり、会社が学校へ問い合わせたようで、会社のほうへ親子で話しに行ってくれといわれた。
会社は元々の社長さんが亡くなったあと
奥さんが社長になって後を引き継いでいた。
皆さんいい人ばかりだった。
長男に対しても とても親しく話しかけてくれていた。
ただ 一週間以上休んでいたし、理由もはっきりわからない状態だから 会社としてもこれ以上は雇えないと言われた。
私も無理に行かせるつもりはなかった。
社長さんも子どもさんがいて、学校いかなかったりしていろいろと苦労されたと話してくださって、子どもには 大きな気持ちでいなさいと言ってたと思う。
でも あまりピンとはこなかったようなきもするが、ただ泣けた。
私自身が、我が子に対して
この子はダメな子なんじゃないかなあ、と悲しい気持ちになっていた。
そんなとき、会社の人たちは
「長男、おまえはとてもいいから、これからしっかり頑張れよ」
と、とても親身になって言ってくれた。
それが優しくて、泣けた。
そこのみんなが優しくて、めちゃくちゃ泣いてしまった。
迷惑かけたのに、それもすまなくて泣いた。
それからまた2学期から不登校となった。
Android携帯からの投稿
入学してから一月たったころか、定時制は働きながら学ぶというのが前提で、
先輩が既に働いている会社があるから
そこで働かないか、ということで
朝8時から夕方5時まで勤務して、その後
バスで学校へ行って勉強するという生活になった。
今まで中学校も毎日行くことができなかったのに、いきなりそんなことできるのかと思う気持ちもあったが、朝は勤めに行く私の車に乗せて長男を会社へ送って という毎日で頑張っていた。
会社は工業用ロボットをつくる会社へ納める部品をつくっている下請け会社だった。
中学卒業した子どもにどんな仕事があったのだろうかと思うが、どんなことをしているのかときくと
まあ、何かしてはいるが、何もしないでいる時間もかなりあるようだった。
そこに座ってていいぞ、とか声をかけてもらえるらしいが、本人は何もせずにいる時間がかなり苦痛だったようだ。
雇う側は わかっているから
何もしてなくても全然問題ないのだけど
本人は、自分はいなくてもいいのだろうという捉え方をしてしまっていたとおもう。
やはり ひと月過ぎたくらいから
会社を休むようになり、会社が学校へ問い合わせたようで、会社のほうへ親子で話しに行ってくれといわれた。
会社は元々の社長さんが亡くなったあと
奥さんが社長になって後を引き継いでいた。
皆さんいい人ばかりだった。
長男に対しても とても親しく話しかけてくれていた。
ただ 一週間以上休んでいたし、理由もはっきりわからない状態だから 会社としてもこれ以上は雇えないと言われた。
私も無理に行かせるつもりはなかった。
社長さんも子どもさんがいて、学校いかなかったりしていろいろと苦労されたと話してくださって、子どもには 大きな気持ちでいなさいと言ってたと思う。
でも あまりピンとはこなかったようなきもするが、ただ泣けた。
私自身が、我が子に対して
この子はダメな子なんじゃないかなあ、と悲しい気持ちになっていた。
そんなとき、会社の人たちは
「長男、おまえはとてもいいから、これからしっかり頑張れよ」
と、とても親身になって言ってくれた。
それが優しくて、泣けた。
そこのみんなが優しくて、めちゃくちゃ泣いてしまった。
迷惑かけたのに、それもすまなくて泣いた。
それからまた2学期から不登校となった。
Android携帯からの投稿