生まれてから最初の結婚をするまでが


第一ステージで


結婚してから離婚するまでが第二ステージ、


そして離婚してから再婚するまでが


第三ステージ。


さて、とにかく人生の第三ステージが始まった。




引越しも無事完了し


仕事の面接も受けた。


結果は採用。



よく覚えてないが、5月半ばごろには働きはじめていたと思う。



離婚すると決まってから


新生活の準備は急ピッチで進み


父と再婚予定の幸子さんも何かと気配りしてくれて


幾度となく子供二人と晩御飯を食べにおいでと


誘ってくれたりした。



仕事に行くようになり、子供たちも保育所に通い始め


アパート生活がスタートした。



子供たちが寝静まり


部屋の明かりを消したまま


冷蔵庫からビールを出した。


台所の流し台のところに通路に面した窓がある。


そこから外の明かりが入ってなんとなく明るい。


床に腰をおろして冷たいビールを飲んだら


急に孤独感が襲ってきた。



ひとりになってしまったんだな


そう思ったら涙がでた。


大海原にぽつんと放り出されたような感覚。


子供二人をちゃんと育てていけるのか、


漠然としたとてつもなく大きな不安感。


そばに誰もいないと思うとさみしくて


さみしくて、そしてこわくて


泣いた。


子供みたいにわあわあ泣いていた。


そして、あんな夫でも、やっぱり頼ってたんだと思い知る。


でも、離婚するんじゃなかったとは


これっぽっちも思わなかった。


悩んで悩んで悩みぬいた結論で、その後は


まったく迷いなしだから。


いや、迷ったりなんかしないようにしてたのかも。


「後悔」するのはいやだと


どんな結果になっても「後悔」なんかするもんかって


離婚届を書いたときに


心に決めたのだった。




これからは、私ひとりで二本足でしっかりふんばらなきゃとか


いろんな決断を私が一人でしなくてはいけないんだと思うと


大丈夫かよ?って思いもしたけど


もう、なるようにしかならないんだから


先のどうなるかわからない出来事を


あれこれ心配しても


自分が不安になっていくだけで何もいいことはない


だからそんなふうに考えることもやめようと


自分に叩き込んだと思う。


もう船は漕ぎ出したんだもんね。


なんとかなるさって、思うしかないからって


そんなこと思った事を覚えている。



6月に入って半ばごろか


夫から連絡があり、子供たちに会うということだった。


土曜に夫の実家に泊まりに行って


日曜の夕方に戻ってくるということで連れていった。


私としては、夫婦は別れてしまえば「他人」だけど


子供は夫と血がつながっているわけで


それを親の勝手な都合で


引き離したりしてはいけないんじゃないかと考えていた。


だから、夫が子供と会いたいときには


特に差しさわりがないかぎり、いつでもどうぞと


いうつもりだった。


しかし、おかしかったのは


今まで一緒に生活していた頃は


子供の相手とかあまりしようとしなかった夫が


母親だけになって子供がかわいそう、とかいいながら


遊園地なんかに連れていくようになったことだ。


母親だけの子供にしてしまったのは


あんたのせいじゃないかと私は思っているけど


当の本人はまったくわかっていなかったようだ。


だから、私に対しては態度が悪かった。


私が普通にタメ口で話しかけると


気に入らないようで、敬語でしゃべろという感じで


敬語で他人行儀に話すと


心なしか機嫌がいいようだった。


そんな状態でだいたい月一回のペースで


子供と会っていたが


それは9月までで終わってしまったのだった。