フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

読み本系には、延慶本、長門本、源平盛衰記などの諸本がある。従来は、琵琶法師によって広められた語り本系を読み物として見せるために加筆されていったと解釈されてきたが、近年は読み本系(ことに延慶本)の方が語り本系よりも古態を存するという見解の方が有力となってきており、延慶本は歴史研究においても活用されている。

らしい。

『ウィキペディア(Wikipedia)』を鵜呑みにするのは危険らしいが、

延慶本には長門本にない

鵯越の由来や定義らしきことがかかれており、

その記述が現在の位置関係や

「~越」という語の使い方と比較しても

正しいと思われることなどから、

『平家物語』の延慶本が他の異本と比べて

歴史研究者からの信頼がある

ということを信じることにして、

『平家物語』の延慶本を調べてみることにした。

 

 

『菊池眞一研究室都々逸』というサイトの

『延慶本 平家物語 読み下し版(漢字ひらがな交じり)』

を使って『平家物語』の延慶本を調べてみると、

 

意外なことがわかった。

 

『平家物語』の延慶本には

「鵯越の逆落とし」という表現は一つも無かった。

 

「鵯越」という語も7つしか無かった。

 

1.「鵯越へ向ふべし」

2.「此の山は鵯越と申して、さがしき山にて候ふ。」

3.「敵の城の後ろなる鵯越を上りにける。」

4.「さて此の山を鵯越と云ふは、いかに」

5.「鵯をさげ、此の坂を越えたりけるに依りて、鵯越とは名付く。」

6.「さて、鵯越とは申し候ふ。」

7.「二疋を源平両家のかさじるしとて、鵯越より落とす。」

 

以上

7つだった。

 

「逆落とし」は0だった。

 

念のため「逆落」で調べても0だった。

 

延慶本に限っていえば、

 

『平家物語』には

 

「鵯越」はあっても

 

「逆落とし」は存在しない。

 

「近年は読み本系(ことに延慶本)の方が

語り本系よりも古態を存するという見解の方が有力」

という見方が正しいとすると、

 

『平家物語』の古態(もとのままのすがた)である延慶本に

「鵯越の逆落とし」という表現が無いということは、

 

「鵯越の逆落とし」というのは、

 

7.「二疋を源平両家のかさじるしとて、鵯越より落とす。」

 

という、

 

二疋の老馬を源氏と平家に見立てて、

 

鵯越から落として、

 

源氏の

傘印

https://kotobank.jp/word/%E7%AC%A0%E5%8D%B0-1153983

に見立てた老馬が落ちても平気だったので、

 

義経軍がその老馬に倣って

 

鵯越から下り(原文に倣うと「鵯越より落とし」)

ていったことを

 

後の人が「鵯越の逆落とし」と呼んだということのようだ。

 

 

念のため

長門本

も調べたが、

長門本にも「鵯越の逆落とし」

という表現は無かった。

 

ちなみに、長門本には

「鵯越」が5つ

「逆落とし」が0だった。

 

鵯越の由来と定義らしき表現カ所が無いので

延慶本より長門本の方が

「鵯越」の数が3つ少なくなっているようだ。

 

「鵯越」に関する記述について

延慶本と長門本を比較すると

延慶本に書いてある「鵯越」の由来と定義を

書き足したというより、

物語の本筋にあまり関係ないので、

「鵯越」の由来と定義を

省略したという感じが強い。

 

読み比べるとだれでも感じると思うが

鵯の渡りに関する記述がわかりにくいので、

バッサリ切った感じがする。

 

延慶本では「鵯越」

鵯(季節によって)と鹿(播磨から丹波へ)が

渡る山とされているが、

長門本では、

一の谷の鹿が丹波に渡る山とされている。

 

延慶本の時代は鵯の渡りも鹿の渡りも

知っているのが

一般的で、

長門本の時代には鵯の渡りにたいする知識が廃れて、

鹿の渡りだけが残ったということなのだろうか。

 

読み本の長門本でも

「鵯越」の由来や定義が省略されてしまうのだから、

 

『平家物語』が

琵琶法師によって広められたことを考えると

話の本筋とあまり関係ない

「鵯越」の由来や定義などは

省略されて当然かもしれない。

 

省略されてしまった「鵯越」の由来や定義が

『平家物語』の延慶本に書いてあるということは

『平家物語』の作者または延慶本の作者に

「鵯越」の由来や定義に拘りがあったのは確か、

なような気がする。