歩き回った街の記憶(2)

   三森至樹

 このように、自分の脚で実際に歩いたことのない土地には、記憶に残るなじみが生まれにくい、だからわたしが今住んでいる土地昭島には、かつて住んだ川崎ほどには濃密なその土地に関する記憶がない。
 そういうことだが、それには一つ例外がある。昭島の中で、自分の脚で歩いたことがあって、他の場所よりも詳しく覚えているは、拝島大師だ。
 2012年の二月、脳梗塞で入院し治療とリハビリに過ごした四か月を終えて、昭島市のあるアパートに住むようになった。そのころには杖を突いて歩けるようになっていた。元の職場にも復帰した。そこでわたしは、元通りに散歩にも出かけられるだろうと思っていた。
 ある日、昭島市の中でも一番有名な拝島大師まで歩いてみようと思った。わたしが住むようになったアパートは、昭島市の中でも東寄りの、立川市に近いところだったが、拝島大師は昭島市の中でも西側で、わたしのアパートからは4、5キロあった。そこに行こうと思ったのだ。
 青梅線に乗り、拝島駅で降り、そこからはバスに乗った。やがて拝島大師に最も近いバス停で降りた。そこから拝島大師はすぐ近いはずだった。確かにお寺の山門はすぐわかった。しかしそのときには拝島大師は工事中で中に入れなかった。今は工事も終わり、立派な姿を車から眺めることができるようになった。実際デイサービスの行き帰りに何度も拝島大師のそばを通って、その素晴らしい姿を遠くから見ることができた。しかしそのときには見れなかった。
 やれやれくたびれ損だったなと思って、帰ろうとした。今度は歩いて昭島駅まで行き、そこからまた青梅線に乗って、自宅のある東中神駅に帰ることにした。しかしその道のりは、杖を突いて歩くには思った以上に大変だった。大きな道を北に歩いて行ったのだが、病気する以前には何でもない距離だったはずなのに、杖を突いて歩いて行くそのときには、大変につらい難行苦行となった。ようやく昭島駅に着いて家に帰ることはできたが、杖を突いて散歩するのは、楽しみというよりは非常につらいことだなと思い知った。
 そういうわけで昭島市内を歩いて散歩したのは、そのとききりで、後は市内を歩き回るということはしなくなってしまった。そのとき以来、わたしは、いろいろなところを悠然と歩き回るという楽しみを持てなくなってしまった。残念なことだ。
 そういうわけで、拝島大師については、わたしの中では、昭島の中で例外的に記憶を詳しく鮮明に語ることができる。そこは実際に自分の脚で歩いてそこに行って、見聞きしたので。
 このように、ある土地について実感を持って語ることができるのは、そこに実際に足を運んで、いろいろなことを見たり聞いたり、感じて考えたりしたことがある場合だけで、座って本やインターネットで情報を得るだけではダメだということが分かる。そんなやり方では、自分の経験としてその土地について語ることはできない。自動車で通り過ぎるだけでもダメで、その場合には自分の脚で歩くのに比べれば経験の濃度がひどく薄くなり、語ることが少なくなってしまうようだ。
 そういうわけで、自分の脚で歩き回る経験を昭島についてはしていないので、自分の街としての親しみを感じることがいまだに少ないのだろう。川崎は、今は遠く離れてしまった土地なのに、昭島と比べればわたしの街として、いまだに親しみとなつかしさを伴って記憶しているのは、そこを歩いた経験のためなのだろう。