在原業平について
東北地方には義経伝説が広く残っている。
それによると、義経は歴史上は奥州平泉で裏切りにあって殺されたことになっているが、実は義経は生きていて、東北地方を転々としたという。さらに彼は北海道に渡り、最後には大陸にまで渡っていって、英雄ジンギスカンになったという説まで飛び出した。
また東北には、キリストの墓の話もある。それによると、キリストが十字架にかけられて死んだというのは嘘で、死んだのはキリスト本人ではなく、弟のイスキリなる人物だったという。キリスト自身は遠く日本の東北、青森県の戸来(へらい)村まで渡ってきて、そこで亡くなった。そういう伝説があり、その墓といわれるものが今も残っている。
こういう、「死んだといわれているが、実は生き延びていた」という話は、東北地方だけではなく、日本各地にある。こういう「実は生きていた」という伝説はなぜ起こってきて、人口に膾炙しているのだろうか。
それは、悲運の英雄や、傑出した人物を惜しむ気持ちが、多くの人にあるからだろう。生きていれば、もっと優れた仕事を成し遂げられていたろうに、悲運に見舞わて志半ばで世を去らなければならなかった、人々にそう思わせる人間がいる。その場合、多くの人がその人間に共感し、かわいそうに、惜しいことだと思い始める。人々がそう思う場合、「彼らは死んだのではない、実は生きていたのだ」という伝説が、自然発生的に起こってくる。そういう仕組みなのではないかと思う。
在原業平も、そういう、人々に愛される悲運の貴公子の一人だといえる。
在原業平は平安時代の初期、9世紀の人だ。古今和歌集にも彼の歌がたくさん載っている。また伊勢物語の主人公とも言われている。平城天皇の孫というのだから、高貴の身分の人ではある。しかし彼には、不運が付きまとっている。彼の祖父にあたる平城天皇は、嵯峨天皇に位を譲って上皇になったとき、藤原薬子(くすこ)にそそのかされて、クーデターを企て失敗する。こういう人物の家系だから、業平もまた、身分の高さに比べれば宮中での出世は遅かった。
また彼はいろいろな女性と浮名を流すプレーボーイとして知られている。彼と関係を持った女性の一人に、ときの関白藤原基経の妹の高子(たかいこ)がいる。基経は高子を天皇の夫人にしようと計画していた。つまり天皇と姻戚関係を作って、権力基盤を強めようとしていた。その大事な手駒である高子を、業平が横合いから奪ったので、基経は激怒した。基経の逆鱗に触れたために、業平は宮中で立場を悪くして、出世を阻まれてしまう。
また彼は、伊勢の斎宮とも関係を持った。この斎宮というのは、神に仕える女性として、男と関係することは禁じられていた。その斎宮と関係を持ったことも、彼の立場を危うくした。そういうふうで、生まれつきの不運に加えて、彼自身の行状の問題もあり、とうとう彼は一時、東国に逃避行をする羽目になったらしい。その話が、伊勢物語の中の、有名な東下りだ。
しかし業平は人々に長く記憶される人物になった。人々は、業平に対しても判官びいきの気持ちを寄せたのだと思われる。
この判官びいきの心理についてもう一度考えてみると。
判官びいきというのは、悲運の英雄とか不遇をかこつ貴公子とか、そういう悲劇的な人物に対して、人々が寄せる共感のことだ。ではなぜ人々は、そういう人間に共感を覚えるのだろうか。
それは人々がそういう人物の中に、自分自身を見出すからだろう。人々はたいていの場合、多少ともおのれの不運を嘆く気持ちを持っている。自分はそこそこ良い人間でもあり、悪意もなく、少しは世の中に立つ能力も持っている。そういう人間であるのに、運命は必ずしも自分に味方してはくれなかった。むしろ不運に付きまとわれてきた。そういうふうに自分の人生を感じる人にとっては、同じような境遇の、人々に良く知られた人物に対しては、共感と同情を持つことになる。そういう他者との自己同一化というのが、判官びいきの心理の背景なのだろうと思う。
在原業平についていうと、歴史の事実としては彼はそれほど不遇な生涯を送ったとは言えないようだ。最後には相当高い位にまで昇っている。しかし人々の間で語り伝えられた人物としては、彼は悲運の貴公子でなければならなかった。そういう判官びいきを刺激する人物として、彼の伝説は作られ、語り伝えられねばならなかった。人々は在原業平伝説を欲したのだ。
東北地方には義経伝説が広く残っている。
それによると、義経は歴史上は奥州平泉で裏切りにあって殺されたことになっているが、実は義経は生きていて、東北地方を転々としたという。さらに彼は北海道に渡り、最後には大陸にまで渡っていって、英雄ジンギスカンになったという説まで飛び出した。
また東北には、キリストの墓の話もある。それによると、キリストが十字架にかけられて死んだというのは嘘で、死んだのはキリスト本人ではなく、弟のイスキリなる人物だったという。キリスト自身は遠く日本の東北、青森県の戸来(へらい)村まで渡ってきて、そこで亡くなった。そういう伝説があり、その墓といわれるものが今も残っている。
こういう、「死んだといわれているが、実は生き延びていた」という話は、東北地方だけではなく、日本各地にある。こういう「実は生きていた」という伝説はなぜ起こってきて、人口に膾炙しているのだろうか。
それは、悲運の英雄や、傑出した人物を惜しむ気持ちが、多くの人にあるからだろう。生きていれば、もっと優れた仕事を成し遂げられていたろうに、悲運に見舞わて志半ばで世を去らなければならなかった、人々にそう思わせる人間がいる。その場合、多くの人がその人間に共感し、かわいそうに、惜しいことだと思い始める。人々がそう思う場合、「彼らは死んだのではない、実は生きていたのだ」という伝説が、自然発生的に起こってくる。そういう仕組みなのではないかと思う。
在原業平も、そういう、人々に愛される悲運の貴公子の一人だといえる。
在原業平は平安時代の初期、9世紀の人だ。古今和歌集にも彼の歌がたくさん載っている。また伊勢物語の主人公とも言われている。平城天皇の孫というのだから、高貴の身分の人ではある。しかし彼には、不運が付きまとっている。彼の祖父にあたる平城天皇は、嵯峨天皇に位を譲って上皇になったとき、藤原薬子(くすこ)にそそのかされて、クーデターを企て失敗する。こういう人物の家系だから、業平もまた、身分の高さに比べれば宮中での出世は遅かった。
また彼はいろいろな女性と浮名を流すプレーボーイとして知られている。彼と関係を持った女性の一人に、ときの関白藤原基経の妹の高子(たかいこ)がいる。基経は高子を天皇の夫人にしようと計画していた。つまり天皇と姻戚関係を作って、権力基盤を強めようとしていた。その大事な手駒である高子を、業平が横合いから奪ったので、基経は激怒した。基経の逆鱗に触れたために、業平は宮中で立場を悪くして、出世を阻まれてしまう。
また彼は、伊勢の斎宮とも関係を持った。この斎宮というのは、神に仕える女性として、男と関係することは禁じられていた。その斎宮と関係を持ったことも、彼の立場を危うくした。そういうふうで、生まれつきの不運に加えて、彼自身の行状の問題もあり、とうとう彼は一時、東国に逃避行をする羽目になったらしい。その話が、伊勢物語の中の、有名な東下りだ。
しかし業平は人々に長く記憶される人物になった。人々は、業平に対しても判官びいきの気持ちを寄せたのだと思われる。
この判官びいきの心理についてもう一度考えてみると。
判官びいきというのは、悲運の英雄とか不遇をかこつ貴公子とか、そういう悲劇的な人物に対して、人々が寄せる共感のことだ。ではなぜ人々は、そういう人間に共感を覚えるのだろうか。
それは人々がそういう人物の中に、自分自身を見出すからだろう。人々はたいていの場合、多少ともおのれの不運を嘆く気持ちを持っている。自分はそこそこ良い人間でもあり、悪意もなく、少しは世の中に立つ能力も持っている。そういう人間であるのに、運命は必ずしも自分に味方してはくれなかった。むしろ不運に付きまとわれてきた。そういうふうに自分の人生を感じる人にとっては、同じような境遇の、人々に良く知られた人物に対しては、共感と同情を持つことになる。そういう他者との自己同一化というのが、判官びいきの心理の背景なのだろうと思う。
在原業平についていうと、歴史の事実としては彼はそれほど不遇な生涯を送ったとは言えないようだ。最後には相当高い位にまで昇っている。しかし人々の間で語り伝えられた人物としては、彼は悲運の貴公子でなければならなかった。そういう判官びいきを刺激する人物として、彼の伝説は作られ、語り伝えられねばならなかった。人々は在原業平伝説を欲したのだ。