紀野一義さんのこと

 わたしは今歎異抄が大好きになってきていて、それに関する本もいくつか読んでいる。その中に、紀野一義さんの書いた『わたしの歎異抄』(三笠書房・知的生き方文庫)もある。これはずっと前に購入していて、何回か読んだことがある。その紀野一義さんのことで思い出したことがある。
 和泉多摩川の周辺をポスティングしていたとき、彼、紀野一義さんの家を見つけたことがあった。それは狛江市の、地名は緒方(いのかた)というところで、その住宅街の一軒だった。そんなに大きくはない、普通の民家だったが、表札でそれと分かった。変わっている点と言えば、玄関口に仏像らしきものが置いてあるくらいだった。これが有名な仏教家の紀野一義さんなのかどうか、そのときには確信はなかった。同姓同名の人かもしれないと思った。しかしあとで、彼の本の中に、彼の現住所として、狛江市緒方と書いてあったので、やはりあれが彼の家だったのだと分かった。また、多摩川に面した大きなマンションでも、彼の名前を見つけることができた。たぶんそこは、彼が書斎とか事務所とかとして使っている部屋なのではないかと思った。わたしは別に探偵をする趣味はないが、たまたまポスティングをしていて、偶然自分の知っている人の家と別宅に遭遇したというだけだ。その紀野一義さんも、数年前、2013年に亡くなった。
 彼の立場はわたしには、今よく分からない。彼自身は日蓮宗の出身なのだが、別に日蓮一辺倒ではなく、仏教全般に精通していて、いろいろな宗派の人たちの言葉や考えを引いてくる。道元や他の禅者も、空海も、果てはキリスト教詩人八木重吉も、いろいろ引用してくる。彼の立場は、仏教を全部一つのものとして考える立場のようだ。そこがわたしにはピタッと来ないし、良く理解できない。というのは、わたしは今は、親鸞の歎異抄には強く惹かれているが、それ以外の例えば禅などには、全然感度がないからだ。またわたしは、仏教の教えを知りたいわけではなく、自分に納得できる救いというか、安心を求めているだけなので。そういう立場の違いから、なんとなくピタッと合わないと感じるのかもしれない。
 歎異抄に関するもので、わたしにピタッと合う本と言えば、今のところは、暁烏敏(あけがらすはや)の『歎異抄講話』(講談社学術文庫)だ。