未解決の生という現実。
この世界の出来事には、ほとんどすべて、解決がない。すべて中途半端に中断した状態で残される。そういう中途半端な、できそこないの出来事が、無数に累々と堆積している。それがこの世界の現実なのかもしれない。
その中途半端な、未解決の出来事の一つが、博君、私の甥の一生でもある。彼の生涯にも、多くの「たら」「れば」の悔いが残る。それなのに、その悔いはどうしても取り返しのつかないもので、解決のしようがない。
しかし考えてみれば、イエスの生涯も、未完成のままに一生を終えることになった、この世的には悔いの残る短い生涯だったのかもしれない。若くして三十半ばで、道半ばで不本意ながら生涯の歩みを閉じなければならない、そういう一生だったのかも知れない。そのようなみじめな生涯を送ったからこそ、かえって彼は、われらと共なる主なる神なのかもしれない。