ツバメのこと
先日、出かける用があって、近くの駅に行った。それは青梅線・東中神駅でのことで、わたしはプラットホームに立って、電車を待っていた。
すると、向こう側の樹の上を、小さな鳥がスーッと飛び過ぎた。青空を背景に、二、三羽の小さな鳥が、スイスイと飛び交っていた。 ああ、ツバメだと気づいた。
ああ、その季節になったんなだなと思った。
最近は都市の近郊ではツバメはほとんど見かけなくなった。水田も日本家屋もなくなり、アスファルト道路とコンクリートのビルの街では、ツバメは住めないからだろう。
だが、わたしが子どものころはもちろん、三十年くらい前に、川崎市に住み始めたころにも、ツバメはよく見かけていたという記憶がある。
今たまたまツバメを見かけたことで、そのころのツバメにまつわる出来事を思い出した。
そのときわたしは、何かの用事で、登戸に行っていたのだった。なんの用事だったのか今思い出せない。登戸は、そのころわたしが住んでいたところからは、バスと電車で三十分とはかからなかった。登戸駅は今は大きなビルに建て替えられたが、そのころの駅舎は古い木造の建物だった。駅前も今はだいぶ整備されてきたが、そのころは何となく空き地の多い、寂れた感じの街だった。
その駅舎を通り抜けようとしたところ、あるところに人が集まって、がやがや騒々しかった。なんだろうと思って、そっちを見ると、人々の頭上すぐのところに、ツバメが二羽けたたましい鳴き声を上げながら、行ったり来たりしていた。まるで彼らにとって、この世の終わりが襲ってきたかのように、悲嘆に暮れて泣き叫んでいるようだった。見ると、彼らの飛び交っている地面には、彼らの大事に育ててきていた雛もろとも、彼らの巣がたたきつけられて、つぶれているのだった。
それを取り囲んでいる群衆の間からは、かわいそうに、だれがこんなことをしたんだろうというつぶやきが聞こえた。たぶんこの巣は、駅員たちが、ツバメが巣を作るのは縁起が良いという言い伝えを聞いていて、大目に見ていたのだろう。だから改札口にもかかわらずできたものだったのだろう。それを改札を通る誰かが、目障りだと思ったのか、あるいはたんなるいたずらの気持ちからか、たたき落としたのだろう。それはツバメについての迷信を共有していない若者か、学生たちの仕業だったかもしれない。どちらにせよ、あの巣は無残に壊されて、両親のツバメの悲嘆にもかかわらず、取り返しのつかないものになってしまっていた。
あの二羽の、つがいらしいツバメは、その後しばらくは、あきらめきれない様子で、壊された巣の上を飛び回っていたが、いつのまにかどこかに飛び去ってしまった。
あのときの光景が、今ツバメの飛び交っている姿を見て、わたしの脳裏に浮かんできたのだ。
こうしたツバメの悲劇は、もう一つ、小田急線の大蔵駅でも目撃した。大蔵駅は、登戸から小田急線に乗り換えて、4、5駅都心に向けて行ったところにある。世田谷区にもう入っているのかな。そこに行ったのは、例のツバメ事件の二、三年後のことで、そのときはポスティング(チラシ配り)のために行ったのだ。
あそこは、駅からすぐアーケードの商店街になっている。そのアーケードの入り口のところで、人々が集まって話していたので、その話をそばに立って聞いていた。彼らの話では、アーケードの屋根のところにできていたツバメの巣を、高校生たちが悪戯をして、壊したということだった。だからそのときは、人の話を耳にしただけで、実際にはその事件を見てはいないのだ。
わたしが見聞きしたのはこの二件だけだが、おそらくその当時は、都会では同じような出来事は、たぶんいくつも起こっていただろう。というのは、ツバメが巣作りする環境が、そのころ急速になくなっていたし、それに伴って、祖父母や親たちから、ツバメと一緒に暮らす生活スタイルも、ツバメが幸福をもたらす益鳥だという伝承も、受け継がれなくなりつつあったから。若い人たちには、ツバメの巣は汚い、邪魔ものと感じられるようになったのも、仕方ないとも言える。しかしわたしは、巣を壊されてどうして良いか分からずに、騒ぎながら飛び交っていたツバメを思い出すと、かわいそうで涙が出そうになる。
あのときからでももう三十年。今はツバメそのものもめったに見られなくなった。だからあのときのような悲しい事件ももう起こらないだろう。
この前、今住んでいるところの最寄りの駅でツバメを見かけて、数十年前に見たある光景のことを思い出したのだった。しかし、それ以来ツバメは一度も見ていない。だから今では、あのときツバメを見たと思ったのは、本当のことだったのか確信がなくなりかけている。
先日、出かける用があって、近くの駅に行った。それは青梅線・東中神駅でのことで、わたしはプラットホームに立って、電車を待っていた。
すると、向こう側の樹の上を、小さな鳥がスーッと飛び過ぎた。青空を背景に、二、三羽の小さな鳥が、スイスイと飛び交っていた。 ああ、ツバメだと気づいた。
ああ、その季節になったんなだなと思った。
最近は都市の近郊ではツバメはほとんど見かけなくなった。水田も日本家屋もなくなり、アスファルト道路とコンクリートのビルの街では、ツバメは住めないからだろう。
だが、わたしが子どものころはもちろん、三十年くらい前に、川崎市に住み始めたころにも、ツバメはよく見かけていたという記憶がある。
今たまたまツバメを見かけたことで、そのころのツバメにまつわる出来事を思い出した。
そのときわたしは、何かの用事で、登戸に行っていたのだった。なんの用事だったのか今思い出せない。登戸は、そのころわたしが住んでいたところからは、バスと電車で三十分とはかからなかった。登戸駅は今は大きなビルに建て替えられたが、そのころの駅舎は古い木造の建物だった。駅前も今はだいぶ整備されてきたが、そのころは何となく空き地の多い、寂れた感じの街だった。
その駅舎を通り抜けようとしたところ、あるところに人が集まって、がやがや騒々しかった。なんだろうと思って、そっちを見ると、人々の頭上すぐのところに、ツバメが二羽けたたましい鳴き声を上げながら、行ったり来たりしていた。まるで彼らにとって、この世の終わりが襲ってきたかのように、悲嘆に暮れて泣き叫んでいるようだった。見ると、彼らの飛び交っている地面には、彼らの大事に育ててきていた雛もろとも、彼らの巣がたたきつけられて、つぶれているのだった。
それを取り囲んでいる群衆の間からは、かわいそうに、だれがこんなことをしたんだろうというつぶやきが聞こえた。たぶんこの巣は、駅員たちが、ツバメが巣を作るのは縁起が良いという言い伝えを聞いていて、大目に見ていたのだろう。だから改札口にもかかわらずできたものだったのだろう。それを改札を通る誰かが、目障りだと思ったのか、あるいはたんなるいたずらの気持ちからか、たたき落としたのだろう。それはツバメについての迷信を共有していない若者か、学生たちの仕業だったかもしれない。どちらにせよ、あの巣は無残に壊されて、両親のツバメの悲嘆にもかかわらず、取り返しのつかないものになってしまっていた。
あの二羽の、つがいらしいツバメは、その後しばらくは、あきらめきれない様子で、壊された巣の上を飛び回っていたが、いつのまにかどこかに飛び去ってしまった。
あのときの光景が、今ツバメの飛び交っている姿を見て、わたしの脳裏に浮かんできたのだ。
こうしたツバメの悲劇は、もう一つ、小田急線の大蔵駅でも目撃した。大蔵駅は、登戸から小田急線に乗り換えて、4、5駅都心に向けて行ったところにある。世田谷区にもう入っているのかな。そこに行ったのは、例のツバメ事件の二、三年後のことで、そのときはポスティング(チラシ配り)のために行ったのだ。
あそこは、駅からすぐアーケードの商店街になっている。そのアーケードの入り口のところで、人々が集まって話していたので、その話をそばに立って聞いていた。彼らの話では、アーケードの屋根のところにできていたツバメの巣を、高校生たちが悪戯をして、壊したということだった。だからそのときは、人の話を耳にしただけで、実際にはその事件を見てはいないのだ。
わたしが見聞きしたのはこの二件だけだが、おそらくその当時は、都会では同じような出来事は、たぶんいくつも起こっていただろう。というのは、ツバメが巣作りする環境が、そのころ急速になくなっていたし、それに伴って、祖父母や親たちから、ツバメと一緒に暮らす生活スタイルも、ツバメが幸福をもたらす益鳥だという伝承も、受け継がれなくなりつつあったから。若い人たちには、ツバメの巣は汚い、邪魔ものと感じられるようになったのも、仕方ないとも言える。しかしわたしは、巣を壊されてどうして良いか分からずに、騒ぎながら飛び交っていたツバメを思い出すと、かわいそうで涙が出そうになる。
あのときからでももう三十年。今はツバメそのものもめったに見られなくなった。だからあのときのような悲しい事件ももう起こらないだろう。
この前、今住んでいるところの最寄りの駅でツバメを見かけて、数十年前に見たある光景のことを思い出したのだった。しかし、それ以来ツバメは一度も見ていない。だから今では、あのときツバメを見たと思ったのは、本当のことだったのか確信がなくなりかけている。