影取大蛇のこと
川崎市宮前区の有馬というところでポスティングをしたことがある。
有馬は、田園都市線鷺沼駅から少し歩いたところだ。住宅地だが、畑や果樹園も少しあったりして、いかにも昔はひなびた田舎だったという面影がある。
有馬川沿いのバス通りから少し離れると、なだらかな上り坂となる。有馬7、8丁目の、その坂を歩いていくと、丘の上に小学校がある。どこの街でもあるような、何の変哲もない風景。その小学校は、西有馬小学校という。
この西有馬小学校のことを覚えているのは、この学校の校舎に大きなペンキの絵が描かれていたから。この壁絵に描かれていたのは、影取大蛇の伝説だった。今でもその絵はあるのかどうか知らないが、この影取大蛇の絵のために、わたしの記憶に残ったのだ。
そのころわたしは、川崎に住んでいて、その街に伝わる民話や伝説に興味があって、数冊本も読んだことがあった。その中に、宮前区有馬の影取大蛇の話もあった。
おそらく、その当時の西有馬小の先生の中にも、その伝説に興味を持ち、自分たちの地元の話ということで、子どもたちに紹介して、絵を描かせた方がいたのだろう。地元にはこんな昔話があったんだよ、と。それでたまたま通りかかったわたしが、あの話が絵に描かれていることを知って、驚いたというわけなのだ。
その影取大蛇の話というのはこうだ。
昔有馬の里には、大きな池があったそうな。村人はこの池の水を生活用水として、また畑にやる農業用の水として重宝していた。子どもたちは池で魚を捕ったりしたし、秦野辺りから江戸に行き来する行商人たちは、池の畔で一休みしたり、この辺りの人々には大事な池として大切にされていた。
しかしいつのころからか、この池には大蛇が住んでいるという噂が広まった。この池のそばを通ると、その大蛇が、通る人間の影を取るのだと。影を取られた人間はやがて死んでしまうとのこと。その話を聞いた人々は、その噂を恐れて、この池に近づこうとしなくなった。
有馬村の名主をしていた茂右衛門は、それを心配して、「そんな噂は嘘じゃ。大蛇なんかおりゃせん」と、人々に説いて回ったが、彼らは聞こうとしない。やがて人々は、茂右衛門のところに寄りつこうともしなくなった。彼の娘は、おせんと言ったが、気立ての良い器量好しだった。彼女は父親が、池の噂のことで村人といさかいをして、ふさいでいるのを見かねて、「わたしがその噂が本当か嘘か確かめてくる」と決心した。父親は止めたが、おせんはある夜、こっそりと家を抜け出して、池の畔にやってきた。
静かな夜で、湖面はひっそりとしていた。「何もおりゃせんじゃないか。噂はやっぱり嘘だったんだ」と帰りかけたとき、風がはけしく吹き始め、湖面がざわざわと波立ったかと思うと、大蛇が池の中からぬっと現れた。大蛇はおせんに迫ってきて、彼女を池に引き込もうとする。おせんは必死になって、持ってきた短刀を振りかざして、大蛇と格闘し始めた。怖ろしい戦いがしばらく続いた。しかしやがて、大蛇は死骸となって湖面に浮き上がった。だがおせんもまた命を落として、池の底に沈んでいっだ。
翌朝、おせんがいなくなったのに気づいた茂右衛門が、もしやと思って池に来てみると、おせんの姿はなかったが、その頭巾が落ちているのを見つけた。彼は家の者たちをかり出して、付近を探させたが、おせんを見つけることはできなかった。悲しんだ茂右衛門は、人々に命じて池を埋めさせてしまった。
しかしその後村に怪異が続いたため、鎮まらない大蛇の魂の仕業だと気づいた茂右衛門は、丁重に大蛇の霊の供養を行った。すると怪異は治まった。
というようなのが影取大蛇の伝説だ。この大蛇がいたという池は、はたしてどこいら辺だったのかは今では確かめようもない。伝説の中でも、池はすでに埋められてしまったらしいので、なおさら手がかりはない。
しかし有馬8丁目、例の西有馬小学校からそれほど遠くないところに、有馬ふるさと公園という公園がある。大きな公園で、遊具もそろっていて、子どもたちがいろいろ遊んだり、運動したりできるらしい。根拠は全然ないのだが、どうもこのふるさと公園が、例の大蛇池の跡なんじゃないかと、そんな気がした。
その辺りは、川崎市と横浜市の境目に近く、もうすぐ向こうは横浜市港北区だ。そういうところだから、辺境とは言わないが、閑静な住宅街で、どこにでもある町並みが広がっている。影取大蛇の話を知らなければ、記憶にも残らない場所だったと思う。
ところで、この影取大蛇の話は、有馬のここにだけある話ではないらしい。横浜市戸塚区に、影取町という地名があり、そこにも大蛇の住んでいた池の伝説がある。どちらの話が古いのかは分からない。とにかく、人の影を取る大蛇の伝説が、この地方の各地にあって、いろいろなバリエーションが広まっていたらしい。そしてどちらかというと、戸塚区の影取町の方が、有馬より有名なようだ。というのは、戸塚区影取町は、大きな道路の交差点となっていて、頻繁に道路情報などでその名が放送されるからだ。
それはともかく、戸塚区の伝説では、大蛇の犠牲になる少女の話はなくて、その大蛇は鉄砲で撃ち殺されるという筋立てになっている。
(この稿は、「萩坂昇著『川崎の民話と伝説』多摩川新聞社」を参考にした)
川崎市宮前区の有馬というところでポスティングをしたことがある。
有馬は、田園都市線鷺沼駅から少し歩いたところだ。住宅地だが、畑や果樹園も少しあったりして、いかにも昔はひなびた田舎だったという面影がある。
有馬川沿いのバス通りから少し離れると、なだらかな上り坂となる。有馬7、8丁目の、その坂を歩いていくと、丘の上に小学校がある。どこの街でもあるような、何の変哲もない風景。その小学校は、西有馬小学校という。
この西有馬小学校のことを覚えているのは、この学校の校舎に大きなペンキの絵が描かれていたから。この壁絵に描かれていたのは、影取大蛇の伝説だった。今でもその絵はあるのかどうか知らないが、この影取大蛇の絵のために、わたしの記憶に残ったのだ。
そのころわたしは、川崎に住んでいて、その街に伝わる民話や伝説に興味があって、数冊本も読んだことがあった。その中に、宮前区有馬の影取大蛇の話もあった。
おそらく、その当時の西有馬小の先生の中にも、その伝説に興味を持ち、自分たちの地元の話ということで、子どもたちに紹介して、絵を描かせた方がいたのだろう。地元にはこんな昔話があったんだよ、と。それでたまたま通りかかったわたしが、あの話が絵に描かれていることを知って、驚いたというわけなのだ。
その影取大蛇の話というのはこうだ。
昔有馬の里には、大きな池があったそうな。村人はこの池の水を生活用水として、また畑にやる農業用の水として重宝していた。子どもたちは池で魚を捕ったりしたし、秦野辺りから江戸に行き来する行商人たちは、池の畔で一休みしたり、この辺りの人々には大事な池として大切にされていた。
しかしいつのころからか、この池には大蛇が住んでいるという噂が広まった。この池のそばを通ると、その大蛇が、通る人間の影を取るのだと。影を取られた人間はやがて死んでしまうとのこと。その話を聞いた人々は、その噂を恐れて、この池に近づこうとしなくなった。
有馬村の名主をしていた茂右衛門は、それを心配して、「そんな噂は嘘じゃ。大蛇なんかおりゃせん」と、人々に説いて回ったが、彼らは聞こうとしない。やがて人々は、茂右衛門のところに寄りつこうともしなくなった。彼の娘は、おせんと言ったが、気立ての良い器量好しだった。彼女は父親が、池の噂のことで村人といさかいをして、ふさいでいるのを見かねて、「わたしがその噂が本当か嘘か確かめてくる」と決心した。父親は止めたが、おせんはある夜、こっそりと家を抜け出して、池の畔にやってきた。
静かな夜で、湖面はひっそりとしていた。「何もおりゃせんじゃないか。噂はやっぱり嘘だったんだ」と帰りかけたとき、風がはけしく吹き始め、湖面がざわざわと波立ったかと思うと、大蛇が池の中からぬっと現れた。大蛇はおせんに迫ってきて、彼女を池に引き込もうとする。おせんは必死になって、持ってきた短刀を振りかざして、大蛇と格闘し始めた。怖ろしい戦いがしばらく続いた。しかしやがて、大蛇は死骸となって湖面に浮き上がった。だがおせんもまた命を落として、池の底に沈んでいっだ。
翌朝、おせんがいなくなったのに気づいた茂右衛門が、もしやと思って池に来てみると、おせんの姿はなかったが、その頭巾が落ちているのを見つけた。彼は家の者たちをかり出して、付近を探させたが、おせんを見つけることはできなかった。悲しんだ茂右衛門は、人々に命じて池を埋めさせてしまった。
しかしその後村に怪異が続いたため、鎮まらない大蛇の魂の仕業だと気づいた茂右衛門は、丁重に大蛇の霊の供養を行った。すると怪異は治まった。
というようなのが影取大蛇の伝説だ。この大蛇がいたという池は、はたしてどこいら辺だったのかは今では確かめようもない。伝説の中でも、池はすでに埋められてしまったらしいので、なおさら手がかりはない。
しかし有馬8丁目、例の西有馬小学校からそれほど遠くないところに、有馬ふるさと公園という公園がある。大きな公園で、遊具もそろっていて、子どもたちがいろいろ遊んだり、運動したりできるらしい。根拠は全然ないのだが、どうもこのふるさと公園が、例の大蛇池の跡なんじゃないかと、そんな気がした。
その辺りは、川崎市と横浜市の境目に近く、もうすぐ向こうは横浜市港北区だ。そういうところだから、辺境とは言わないが、閑静な住宅街で、どこにでもある町並みが広がっている。影取大蛇の話を知らなければ、記憶にも残らない場所だったと思う。
ところで、この影取大蛇の話は、有馬のここにだけある話ではないらしい。横浜市戸塚区に、影取町という地名があり、そこにも大蛇の住んでいた池の伝説がある。どちらの話が古いのかは分からない。とにかく、人の影を取る大蛇の伝説が、この地方の各地にあって、いろいろなバリエーションが広まっていたらしい。そしてどちらかというと、戸塚区の影取町の方が、有馬より有名なようだ。というのは、戸塚区影取町は、大きな道路の交差点となっていて、頻繁に道路情報などでその名が放送されるからだ。
それはともかく、戸塚区の伝説では、大蛇の犠牲になる少女の話はなくて、その大蛇は鉄砲で撃ち殺されるという筋立てになっている。
(この稿は、「萩坂昇著『川崎の民話と伝説』多摩川新聞社」を参考にした)