心象風景-エモーショナル・スナップショット
1. 川崎市多摩区百合ヶ丘近辺
2012年の九月末、脳梗塞で倒れて即入院となった。その直前にポスティングで歩いていたのは、登戸近くの宿河原周辺だった。だがわたしには、その前に歩いた百合ヶ丘あたりの風景が印象に残っていた。病院のベッドでも、することがないので、百合ヶ丘あたりの風景を思い描いて、何か書けないかなと思ったりしていた。
なぜ印象に残ったか思い出してみると。
一つは、宿河原は多摩川沿いの低地だったのに対して、百合ヶ丘は高台で、見晴らしの良い気持ちの良いところだったということもある。標高の割と高いところは、歩きながら遠くまで見渡せるので、歩いて気持ちが良い。わたしはそういう土地を歩くのが好きだった。
しかしさらに考えてみると、そのとき以前にも、ずいぶん前になるが、百合ヶ丘をバスで通り過ぎたことがあった。そのときの経験と重なったために、印象深く記憶されたのではないかと思う。
そのときには、ポスティングで丹念に歩き回ったわけではなく、隣町の新百合ヶ丘での仕事の帰りに、駅が近いという関係でバスに乗り、そこを通り過ぎただけだったが。しかし、バスの車窓から眺める百合ヶ丘の風景に、とてもきれいな街だと思ったのを覚えている。
車窓から眺めると、広大な敷地の団地が広がっていた。団地の大きな建物が何十と立ち並んでおり、建物の周りの地面は芝生で覆われ、その間を狭い小径が走っていた。
百合ヶ丘の駅に近づくと、華やかな商店が道沿いにずっと立ち並んでいた。瀟洒なブティックや、花屋などがあった。郊外の、きれいな住宅街のような印象だった。良い街だなと思った。
ところが、二度目に、今度はじっくりとポスティングでその街を歩き回ってみると、あのときの印象はずいぶん間違ったものだったと気づかされた。わたしは、あのときバスの車窓から幻想を見ていたのだと。
ポスティングの仕事のために、自分の足でじっくり歩いてみた百合が丘周辺の印象を、思い出すままに書いてみよう。それは、最初の時のロマンティックな気分を打ち消してしまうようなものだった。
そのときは、最初とは逆に、小田急の百合ヶ丘駅に電車で行き、そこから歩き始めた。駅周辺の商店街は、心の中で思い描いていたのとは違い、実際は二百メートルほどの長さしかなかった。
駅前すぐの古い大きなビルには、いろいろな店が入っていた。しゃれたパン屋もあったが、雑然と野菜などを並べた八百屋もあった。その先には、階段のある短い坂に面して、古い喫茶店と、レストラン。その先は保育園と派出所。続いて、やや古びた感じの商店が並ぶ。その通りの向かいには美容室や、学習塾の入ったテナントビル。そのバス通りは右にカーブして、やや大きな、サミット(だったと思う)というスーパー。そこくらいまでで駅から二百メートルほどとなり、それで商店街は尽きている。どこにでもある、郊外の冴えない駅前風景。
というわけで、あのときバスから見ていた(と思った)あのロマンティックな風景は、どこか違う街の、決してどこだか分からない、夢の中の景色のようにも思えてきた。