ある日教会の礼拝が終わって帰ろうとしていたら、ある人から「『心の貧しい人は幸いなり』ってどういう意味ですか」と聞かれた。
 とっさに答えられずに、「そうですね。確かルカでは、ただ『貧しい人は幸いなり』となっていて、『心の』というのがなかったですね。だからルカだと、やはり経済的に富んでいるか、貧しいかの違いだと思いますが、マタイが『心の』というのをつけたのは、そういう経済的な問題ではなくて、『精神的に貧しい』とか『精神的に満たされていない』とかいう意味なんじゃないかと思いますけど」と答えた。
 その後しばらくして、その人からクリスマスカードをいただいた。そのカードには、例の「心の貧しい人々は幸いである」の英語訳が書かれていて、Happy are those who know they are spiritually poor とあった。訳すれば「自分たちが精神的に貧しいと知っている人たちは幸いである」ということになる。なるほどと思った。つまりは自らが罪人だと自覚する人たちは、そういう者として神からの無条件の罪の赦しを受け入れるので、幸いで、天国はその人たちのものだということになる。だとすると、義認の信仰とか、悪人正機の立場に近くなる。
 しかし英語訳はそうだとして、原文はどうなんだろうと、ギリシャ語原典を開いてみたら、そこには who know にあたる部分はなく、「心の(霊において)貧しい人は幸い」となっていた。英語訳は、だから、どちらかといえば意訳だといえる。しかしそう意訳したほうが、意味がよく分かるということはある。そう思った。