生は一瞬一瞬が「金太郎飴」だ。どの瞬間も同じように甘く、同じように苦い。同じように甘美で、同じように苦しい。それはどこまで行っても同じだろう。わたしたちは人間としての苦しみの限度と、歓びの限度とを超えることはできない。身体がそれをコントロールしている。
ということは。身体を持って存在している限り、われわれの経験は同一であり、永遠の苦しみと、永遠の悦楽を同時に担っているのではないだろうか。
そしてその身体には存在の根拠がない。過去の原因も未来の存在の保証もない。
「永遠の今」。どこをとっても同じ金太郎飴の甘辛い味。どこをとっても「苦しみの十字架、悲惨の無間地獄」。どこをとっても「エデンの園、神の国」。