『薩土倒幕之密約紀念碑』 | サイトウちゃんの日々つれづれ

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2022年11月14日撮影。

巽橋を渡って少し南に歩くと薩土倒幕之密約紀念碑が立っています。


幕末の土佐藩の動きというものも複雑なもので、それぞれに認識も見解も異なっているので、そこを長々と書いてしまうと本一冊になってしまいますが、まぁ、色々とあり、それを抜きにして簡単に備忘録。


大政奉還を通しての薩摩との同盟を結んだ「薩土盟約」。 そして薩摩と土佐が軍事同盟を結んで倒幕に動くという「薩土密約」。
この二つがほぼ同時期に結ばれ、穏健派には薩土密約は知らされず、強硬派には薩土盟約は知らされなかったという時点で既に土佐藩内部の複雑さを物語っていると思います。


この薩土倒幕之密約紀念碑は、もちろん倒幕の軍事同盟ですから薩土密約の方を指します。


薩土密約は薩長同盟と同じく上京区にある近衛家別邸(小松帯刀の京での寓居)において、薩摩藩からは西郷吉之助(隆盛)・吉井幸輔(友実)・小松帯刀、土佐藩からは乾退助(板垣)・谷干城・毛利恭助が会合。

 1867年6月23日(慶応3年5月21日)、「戦となれば土佐藩兵は30日以内に薩摩藩と合流して戦う」との密約を締結。そして土佐藩も軍制改革に着手し、徐々に倒幕へと動き始めるわけですね。

1868年1月27日(慶応4年1月3日)、鳥羽伏見で戦闘が始まると山内容堂は戦闘を厳禁すると発令、しかし一部を除いた諸隊は独断で戦闘に参加。
薩土密約の成果ですね。 これにて土佐藩は官軍に。


密約は前述の通り祇園で締結されたものではありませんが、明治維新151年・令和元年・板垣退助百周忌を記念して建立することになり、小松帯刀寓居跡には既に「薩長同盟所縁之地」の石碑があることから、密約締結の前段階として東山の「近安楼」で会合が行われたことから祇園に建立されたそうです。


2019年に建てられた、結構新しい石碑なんだなぁと。

石碑一つにも歴史が詰め込まれていますね。 調べてみると面白いものです。


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