FaOI幕張がもうそこに
迫ってますけど



空気を読まずに(いつもかw)



RE PRAY舞台裏映像について
思ったことを綴りたいと思います。




一応これでもね
ゆっくり録画を観て
ゆっくり想いを綴っていたんですけどね。



これまでRE PRAY舞台裏映像を観て
書いてきたものはこちらです。









今回触れたいと思ったのは
『天と地のレクイエム』のところです。



『天と地のレクイエム』への
想いを語る羽生くん。



その言葉のすべてを
書くわけにはいかないのですけど



感じたことを伝えさせてもらうと



『天と地のレクイエム』と言ったら
やっぱりどうしても震災のことと
結びつけてしまうと思うんですけど



私もそうだったし



羽生くんも
切り離せないけれども
離して考えようと思ったみたいでした。




灯篭のことについて語っていた部分でも



あの灯篭の光
一つひとつに意味があって
(意味を持たせて?)



それを表現しようとしていたようで



で、今回
宮城で
この灯篭の中で『レクイエム』をやって



やっぱり
蘇ってくるもの
抑えきれないものが
あったみたいで。




うん。



それはそうだろうな
って思ったんです。



逆に言うと
何も感じないわけがなくて。



その蘇ってくるもの
抑えきれない想い



そのままで
ありのままの羽生くんで
いいんじゃないかなと思って。




例え
感情が制御出来なくなったとしても
何かが溢れてしまったとしても
涙が止まらなかったとしても



それで



そのままで



いいって。




制御し切れた羽生くんも
かっこいいとは思うけれども



制御し切れない羽生くんの姿も
それはそれでいいって。




羽生くんとしては
あまり見せたくない姿なのかもしれないけれど



でも
ファンとしては
私としては



そんな素の羽生くんの姿が
垣間見えることなんて



滅多にないことなので



得したっていうと
ちょっと変かもしれないけれど



そっと大切に
心にとどめておきたいな
なんて思うのです。







この後『レクイエム』の
黒い子の羽生くんの映像が流れて。



滑るというよりも
なんとか自分を
この地を
この魂を
鎮めようと
抑えようと
必死にしているように
見えました。



涙をぬぐいながら。



台湾や能登の震災のことにも触れ



めぐり合わせのようなものも
感じていて



やっぱり
震災のことは切り離せないっていうか



そもそもこのプログラム自体に
鎮魂の想いが込められているから



だから
無理に想いを封じ込めなくても
切り離さなくても



流れに身を任せるっていうか



ありのままでいい



って
また思うのでした。





で、実際に
二部の演技が始まって



宮城公演の時の
『天と地のレクイエム』の映像が流れて



この時の宮城のカメラが秀逸で
凄く高いところからの映像があったんです。



天井からのカメラじゃなくて
たぶん客席の一番高いところからのカメラ。



それがまるで
灯篭からの目線のように感じられて



あたかも自分が
あの灯篭の灯りの一つになって
氷上の羽生くんの舞いや
祈りを見ているように
感じられて



心にグッと
くるものがありました。




ファンは
私たちは
私は



こんなふうに
明るく灯しながら
羽生くんのことを見ているのかな
って。




こんな灯りが
羽生くんに届いているのかな。




こんな灯りが
羽生くんを優しくあたたかく
照らしているのかな。




こうやって
ファンの想いを
受け取っているのかな
とも思って。




中には目を開けているのも
キツく感じられるほど眩しい灯りもあったり



今にも消えそうな灯りもあったりするのかな。




この映像からは
そんな灯りは見られなかったけれど。




もしも
灯篭の灯り一つひとつが
ファンの想いだったりするのなら



眩しすぎる灯りじゃなくて
今にも消えてしまうようなものでもなくて



優しく柔らかく
そしてあたたかく
あなたを包み込みたいな。




そんな灯篭の一つでありたいです。





そんなふうに思う
『天と地のレクイエム』なのでした。










拙い想いを
読んでくれてありがとう。