今日、26日に放映された、長野のテレビ局、NBSのスーパーニュース、

特集「松本サリン事件から20年――決別と償い…元信者は今」

に、インタビュー出演させていただきました。

NBSは、今週、シリーズで、事件を振り返り、関係者へのインタビューを放送されています。


番組では、
かつてのオウム真理教にいた元信者の一人として、
以下のような、インタビューにお答えしました。


松本サリン事件について、
知らなかったこととはいえ、そのときに教団に属していた者として、
本当に申し訳なく思っています。
加害者側にいたということで、自分を責める気持ちはずっと消えないこと
をお話ししました。

オウム真理教から改称した「アレフ」を7年前に脱退し、
現在は、アレフと袂を分かったひかりの輪にいると
立場を紹介していただき、



松本サリン事件当時、20代半ばだったわたしは、
四国の高知にいて、まったく、教祖の暴走も、
教団の武装化や、犯罪行為を知らずに
過ごしていました。


そして、次第に、事件が明るみに出るにつれ、
信仰と現実の狭間で悩むようになりました。


麻原に対する憎悪も深まったんですが、
私自身、本当に知らなかったと言うことに、
すごく自分を責めて、今まで何をしていたんだろうということで


でも、葛藤しながらも、事件後、
オウム、アレフに留まり続けていました。


でも、
一つの転機が訪れたのは、松本サリン事件の11年後、
2005年。

その頃、わたしは、
麻原の教義に反して、
長野県の、戸隠や諏訪に行くようになっていました。


オウムでは、
自然の中とか勝手に行けませんでした。
オウム真理教以外は全部、邪教だから、
神社も仏閣も行ってはいけないという決まりがあって。


諏訪とか戸隠とか、
善光寺さんとかお参りさせていただいて、
われに返っていきました。

山とか森とか行ったら、生き返っていくような、
本当の人間らしさというのが戻ってきたような。

そういう感覚と、オウムを比べたときに比較にならなかったんです。

それが、大きな、わたしがオウムを抜けるきっかけになった。

以下は、わたしが脱会前に、戸隠や諏訪に行ったときの写真です。


2005年。諏訪七木という、諏訪の聖なる木の下で。
とても気に入ってしまいました。


2005年。茅野の、御頭ミシャグチ総社の前で。
ここには、その優しさに感じ入るものがあり、数え切れないほど通いました。


2006年。戸隠神社奥社の参道の、随神門。本当に清々しかった。
門の屋根には、こんな風に緑が生い茂っていました。


2006年。戸隠神社奥社の参道の、杉の木の穴に入って。
今は、しめ縄でお祀りされ、中には入れなくなっています。
音楽家の、故宮下富実夫さんは、ここに入って瞑想していたとか。



そして、わたしには、決して忘れることのできない
光景があります。

それは、2008年、上祐とともに、
河野さんの奥様である澄子さんをお見舞いさせていただいたときのことです。

河野さんは、
「ユリの花束を持ってきてくれたよ」とおっしゃって、
澄子さんに話しかけられて、優しく看病されていました。

その、お二人の姿を見たときは、本当に大きな衝撃で、
河野さんは、事件後、長い間こうやって生きてこられたんだなということ、
そして、澄子さんを、こんな身体に、オウムがしてしまったんだなと思い、
言葉になりませんでした。

私はこの光景を決して忘れない、と思いました。


そして、河野さんは、今、ひかりの輪の上祐の謝罪を受け入れてくださり、
外部監査委員となり、活動の透明化などを助言されています。

また、河野さんは、元信者と、釣りなどをされることもあるそうで、
元信者についても、
「根はまじめで、まっすぐに生きていたけれど、
 たまたま教団の中にいて、その人自体がとてつもない悪い人
 というわけではないわけですよね。」
とコメントされていました。


河野さんご夫妻に触れさせていただき、
オウム事件に対する償いの思いは、強いものとなりました。

そして、オウムでの経験を総括した拙著を、
2010年に出版させていただきましたが、
その印税を、ひかりの輪を通じて、被害者の賠償にあてたことや、現在、オウムへの信仰を捨てきれない信者へのアドバイスをしていることなどが紹介されました。


二十歳からの20年間―“オウムの青春”という魔境を超えて/三五館


そして、最後に、わたしは、オウムの中で、
薬物人体実験を受けたり、それと知らされずに、LSDの入った飲み物を
飲まされたり、人のタンパク質が固まるような熱いお湯につけられて、
沈まされたりしたことがあったのですが、
実際、そこで、同じことをされた人たち数人が死んでいることを
事件後に知りました。

そうして、わたしも、オウムにいたとき、
三回くらいは死んでいたかも知れないという場面がありました。

それを思うと、今生きていて、
償いをさせていただくこと、それができるんだと思っています。


そして、最後に、以下のコメントが紹介されていました。

麻原だけではなくて、
これからも、変な人は世の中に出てしまうと思う。
それを見抜けるような社会にしていきたい。

単に憎いと思っているだけではわたしはすまされなくて、
そうしたことが二度と起こらないように、
どうしたらよいのかなっていう気持ちです。


このように、放送していただき、
わたしの伝えたいこと、
実際をありのままに放送していただけました。


松本サリン事件が起こった長野県に住んでいる
元オウム信者の一人として、
長野県のすばらしい自然環境の中で、
生かされていることに、心から感謝します。

そして、今、ご縁をいただいている
たいへんこれまで苦しんでこられた、河野義行さんを
決して裏切らないよう、
ご恩返しができるよう、生きていきたいと思います。

長野放送のテレビ局のみなさま、
今回の取材で、改めて、思いを強く持つことができました。
本当に、どうもありがとうございました。