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そぞろなり

なんということはないことを、なんとはなしに書いていく。
日常エッセイです。
これって私だけかな?そう思うことってないですか?誰かのふだんをちょっと覗いてみたいときって、ありますよね?


ツヤツヤのししとうが出回る季節だ。ここのところ二回、間を置かずして購入した。

私の作れるししとう炒めは味噌味としょうゆ味の二つ。豚肉と炒めるししとう炒めはどちらの味も好物なのだけれど、強いてどちからと選ぶのならば味噌味のほうが若干好きが多いかもしれない。

 

 

ということで、最初に買ったししとうは味噌炒めにした。にんにくと豆板醤を少々入れて、回鍋肉に似た味付け。ああ、美味しい。

 

ししとうとかピーマンとか、中身は空っぽだけど緑の濃いものは美味しさがいっぱい詰まっている。

 

旦那さまにも好評で、数日後、八百屋さんに出掛けた際、「またししとう食べたいな」と言われた。

 

ほんの数日、こないだ食べたばっかりじゃん、という日だったので、今度はしょうゆ味にすることに。たまねぎも一緒に炒め、みりんとちょっぴりのお砂糖で甘辛く。ししとうが固めだったので、じっくりと炒めたので、いいコゲ色もついた。

 

これも美味しいハズ。ちゃんと火は通っているかしら。旦那さまより先に一本、パクッと口に入れ、慌てた。

 

辛い!!!!!

 

しょっぱいほうではなく辛く、一気に口の中がヒリヒリし始めた。痛くて痛くて、もうそれ以上、噛み砕くこともできなかった。グラスの麦茶で無理やり胃に流し込む。それでもヒリヒリ、口の中が痛くてたまらない。なんとかしたくて、ごはんや麦茶やレタスや、目に入るものを次々口に放り込んだけれど咀嚼するのも困難で、ひたすら耐えるしかなさそうだった。

 

ししとうを買ったとき、1つ、2つ、辛いコが混ざっていてびっくりすることがある。今回もそれか、と思ったのだけれど、即座に、「いや、これはちがう!」という考えが頭に浮かんだ。

 

「青とおがらしだ!」

 

私の言葉に旦那さまも数本を食べ、「本当だ、青とおがらしだね」と言った。

 

 

そう言えば、ちょっと固いなって思った。やけにしっぽがあるような形のものが多いなって思った。気付いてから見てみると、なんでわからなかったのかと思うくらいに青とおがらしの姿に見える。

 

八百屋さんで「ししとう」として売っていたから、「ししとうなのだ」だと思った。まさか青とおがらしだなんて、まったく考えても見なかった。今見れば、どちらなのかかなり怪しい見た目だというのに!

 

 

これぞ先入観、先入観って恐ろしい。

 

申し訳ないながら青とおがらしを皿の隅に追いやり、肉とたまねぎだけを食しながら、自分の間抜けっぷりに落ち込みつつ、気を付けなくちゃいけないなぁとヒリヒリする口に誓った私なのでした。

 

 

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コロナ禍でいろんなことをガマンしている。

 

暑くても息苦しくてもマスクをし、フラフラ出歩かないようにし、遊びに行くのも諦め、お茶も外食も控えめ。

 

ならばせめて、家での時間をこれまで以上に快適にしよう。もっと楽しめるようにしよう。そう思うから古いものを買い直したり、不足品を購入したり、おやつに、食事に、工夫を凝らしたりする。

 

ガマンしているからと、どちらかというとお財布の紐は緩んでいる。それをちょっと締めないといけないんじゃないかって、急に強く思い始めた。

 

 

給与が減るとか、雇用の先行きだとか、不安材料は以前からあってそれはかわっていないのだけれど、いつのまにかずんずん値上がりしていた野菜の値段に、突如思い知らされた感があるのだ。

 

雨に日照不足。そりゃあ、作物は不作になる。

 

今年は高いんじゃない? なんて、少し前には思っていたじゃがいもが、今は肉よりも魚よりも高い。レタスやネギの値段も上がっている。最近では夕方スーパーにでかけると、きっちりと山盛りされたレタスやネギの横で、カット野菜(あらかじめ千切られたレタスやサラダ菜が小袋に入っている)やカットネギ(あらかじめ輪切りにされたネギが入っている小パック)の棚が空っぽになっている。

 

そしてなぜかスーパーの棚には空になってしまっている部分を見かけることが増えた。それはまるで自粛生活が始まる少し前のカップ麺の棚とおなじような感じで。

 

 

よく観察してみると、どうやら、広告の品、特売、の棚が空になっているもよう。

 

ちょうど夏休みシーズンで子供たちが家に居るからっていうのもあるだろう。けど、節約しようって考える人が多いんだな、きっと。そんなふうにご近所パトロールをしていた結果、思ってしまったのだ。他人事じゃない、お財布の紐、ちょっと締めないといけないんじゃないかって。

 

 

いつ仕事がなくなるか、いつ体調が悪くなるか、わからない。そうなったときのために、少しでも備えておかないと不安。

 

先行きの見えないという不安は、みんなをそんな気持ちにさせるんだろうな。

 

だから、そうすることで少しでも安心できるなら、引き締めるべきところは引き締めるのがいいのだと思う。

 

ガマンしているからを言い訳に自分に許す買い物を、少し見直したいと思う。

 

 



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「今のこのコロナうずでしょ……うんちゃらかんちゃら」

 

そんなふうに話されて、「?」っとなった。

 

「うず?」

 

聞きまちがえだろうかとも思ったけれど、ちょっと考えて、「コロナ禍って言いたかったのかな?」と気付いた。

 

 

それにしても、うず。。。

 

きっと言葉の意味を考えて使って(話して)いるのではないのだなぁ。ネットニュースなどの文字を目にして、それをそのまま使っているんだろう。

 


言葉は変わっていく。文法上正しくないとか、本来の意味とは別の間違った意味合いで使われているとか、そういうものが時間を経て、そういう使い方をする場合もあると認められ、まちがいではないとされることも多い。

 

だからまちがっているからダメってわけじゃないけれど、「うず」はちょっと恥ずかしいかも。。。と思ってしまった。

 


正しくは、コロナ禍(コロナか)だね。

 

「うず」は「渦」だから、まあパッと見、まちがえるのもわからなくはないんだけど。

 

禍はわざわい。災難や不幸、厄などを意味する言葉。「コロナ禍」で「コロナが招いた災い」というような意味だ。正確じゃないかもしれないけれど、そうだと思う。

 


音として耳にしていたらまちがわなかったのかもしれないなぁ。だとしたら、新聞で目にしていただけ、という場合もまちがえやすいかしら。

 

ほとんどテレビを見ないので、私も目だけで得た情報や知識がたくさんある。ひとつひとつ調べたりしていないので、パッと口を出る言葉や、サラッと投稿した文章には、そういうのが出ちゃうだろうなぁ。

 

「知らない言葉、初めて目にする単語、耳にする言い回し、すべて書き留めて辞書を引く」

 

そういう意味のことを以前、私の好きな作家さんが雑誌のインタビューで話していた。作家さんだものね。そんなふうに思っていたけれど、ちがったかも。私もできる限り、やってみよう。

 

何気ない世間話にそんなことを考える。

 

 

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書き物は嫌いではなかった。

文具に対しての興味も、理解もある。

これだけで素養はあったのだと思う。

 

だんなさまはノート遊びに必要なあれこれを自然と身につけていた。

 


私が手帳をひらく時間を、ノートに書きつけることで学びや気付きや喜びを得る時間を、だんなさまは初めから認めてくれていた。そういう時間が私には一定量必要なのだと理解し、お互いが同じ部屋にいても別々に過ごす時間として、無意識に許容してくれていた。

だから本当は遅いくらいなのかもしれない。もっと早くに目覚めていても不思議じゃない。

 


だんなさまが「紳士なノート」を買った。

 

スマホプリンターで作った写真シールを貼っていくノートが欲しいとでかけた文具店で、だんなさまは「紳士なノート」に惹かれた。

 

これまで何度も目にしていたはずなのに意識しなかったノートを手に取った。罫線の種類とサイズを検討までして購入した。

 

かわいいからとか、まあこれでいいかとか、そういうのではない。おもしろそうだとか、好きそうだと思ったとか、そういう理由で私に買ってくれるのでもない。だんなさまが自分のためにあれこれ考えてノートを買った瞬間に、「これは!」と思った。

 

目覚めの瞬間に立ち会えた。そう感じた。

 

 

案の定、帰宅してノートと向き合っただんなさまは、サラサラと書き心地のいいノートに感激し、このペンは、万年筆は、と書き試した。レイアウトしてスタンプを押し、バランスのいい長さで文字を綴る。とっても楽しそう!

 

ノート遊びのお手本のような、だんなさまの姿に私も楽しくなった。いいぞ、いいぞ。ここからもっと別のノートを試したくなり、別の筆記具を使ってみたくなり、デコレーションの素材をあれこれ集めたくなるだろう。楽しいことはもっともっといっぱいつながっているのだ。いいね、いいね!

 


というわけで、うちのだんなさまがノート遊びに目覚めました。これからどんな喜びに出会い、どんな困難に立ち向かうか、そっと見守り、できればレポートしたいと思っています。

 

「ノート遊びに目覚めたって書いてもいい?」

 

「いいよ」

 

だんなさまも快諾してくれました。

 

さてさて、どんな楽しい時間が待っているやら。もうすでにニヤニヤが止まらない、わたくしでありました。

 

 

 

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なんなのだろう、あの道端に落ちているマスクは。

ときどき、なんてものじゃない、もう最近ではうじゃうじゃとマスクが落ちている。

 

片付けようかとも思うけれど、誰のものかわからない、得体のしれないものに接近する怖さに打ち勝つこともできず、目にするたびただ睨みつけてはモヤモヤとしている。

 

 

どうしてあんなにもマスクは落ちているのだ?

 

風に飛ばされるとでもいうのか?

 

道の途中で投げ捨てたくなる、そんなに気持ちの有れ荒んだ人がたくさんいるのか?

 

まさか同一人物による毎日の犯行なのか?

 

 

河川に、水辺に、海に、大量のマスクが捨てられている。そんなニュースも幾つかあったけれど、なんでそこに捨てるのだ?

 

想像してみるものの、まったく理解できない。

 


「落としたとき、誰のマスクかわかるように、大きく名前を書きましょう!」

 

そんな指導をしなければならないときが来ているのか。

 


「そなたが落としたのは、金のマスクか? 銀のマスクか? それでは不織布のマスクか?」

 

「よしよし、正直者にはすべてのマスクを授けよう」

 

まさかそんなことを狙ってはおるまいな?

 


考えても考えても、こんなことしか浮かんでこない。

 


どうして道端にマスクを落とすのかな。
まさか本当に、マスクが風に飛ばされているのか?

まだまだマスクとは長い付き合いになりそうな状況だ。

 

道端に、水辺に、マスクを落とさないよう、捨てないよう、これなら国だろうと自治体だろうと意見の相違はないだろうから、ぶらさがりの会見で注意を促してほしいものだ。

 

(皮肉がすぎる? だとしたらごめんなさい)

 

 

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ケーキ屋さんも失敗することがあるんだね。

ショックにしょんぼりしながら、そんなことを考えた。

大好きなケーキ屋さんのことなので、悪口を広めたいのではない。そういうこともあるんだね、と驚きを伝えたいのと、そうなんだ、とただ聞いて欲しい。

 


昨年も食べ、今年も楽しみにしていた、この時期のおススメケーキ、「ルバーブのタルト」

 

ルバーブなどという植物は昨年までまったく知らなかったのだけれど、甘く煮込まれたルバーブは爽やかにすっぱくて、とても美味しい。

 

私のお気に入りのケーキ屋さんでは、プリンとクリームの中間くらいの、柔らかいけれど崩れないカスタードクリームがたっぷりの、中に、上に、ベリーを思わせる赤いルバーブをがっつり織り込んだタルトを販売している。

 

今年もきっと美味しい!

 

期待いっぱいで見に行くと、ありましたよ。シンプルに波打った生クリームも上品に、ルバーブのタルトが。去年は生クリームとベリーが飾られていて、「ルバーブってなんだろう、ベリーの仲間なのかしら」なんて思ったんだっけなぁと、美味しい記憶がババーッと戻ってきた。どうやら自分で思っていたよりももっと、私はこのタルトを楽しみに待っていたみたい。

 

他のケーキには目もくれずルバーブのタルトをゲットすると、だいじに、だいーじに持って帰り、それはそれはドキドキしながら、お楽しみのおうちカフェ、おうちでお茶会!

 

ガッとフォークを縦に使い、たーっぷりのひとかけを口に。そうそう、そこのすっぱさ! ところが!

 

ほころびかけた私の頬は、モグモグとするうちに自然と下がって来てしまった。なんだろう、期待が大きすぎたせいなのか、思ったほどの感激も訪れていない。

 

「なんかちがう……」

 

ふたくちめはゆっくり慎重に味わい、みくちめはタルトを凝視してすくいとった。

 

味わね、美味しいの。でも口の中が、舌触りというか、感触がちがう。去年は柔らかめのプリンか、ちょっと硬めに立てたカスタードクリームか、と思われた部分が、もっさりとしていた。じーっと観察してみればそれはもう、蒸し過ぎたプリンか、滑らかさに欠けた芋羊羹みたいに見える。

 

味は美味しいんだけど、ちがうのよ。

 

ああ、ショック。ここが好きなのに。

 

うう、残念。ひとくちずつ食べては、言葉にできない小さなうずまきが気持ちを見出し、しょんぼりと落ち込んでしまいました。

 

こんなこともあるんですね。ケーキ屋さんでも失敗することがあるんだ。

 

次もこんなだったらどうしよう。

 

若干の不安も憶えつつ、人が作ってるんだもの、そんなこともあるよね。私もよく失敗するし。なんて、自虐なのか、優しい気持ちなのか、わからない結論でお茶会を終えたのでした。

 

ケーキ屋さんも失敗することがあるんだね。

 

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わかってる。増やしたのは私だ。自分が悪い。

 

けど、ちょっと多過ぎやしませんか。もっとまとめるとか、できるんじゃないですか。八つ当たりもしたい。

 

ここではこれしか使えない、キャンペーンでこれがもらえる。ダウンロードすればすぐ使えます。そんなこんなでアプリが1増え、2つ増え、気が付いたらいくつもの利用者になっている。suicaにPASMOにWAONも加えたらけっこうな数だ。

 

 

あれ、なにか買ったんだっけ?

 

気付くとお財布にお金がなかったり、クレジットカードの利用速報メールが届いたり。うーん、と考えて、そういえば、なんとかPayや、なんとか払いにチャージしたのだと思い出す。

 

微妙にお金が無く、微妙にあちこちにちらばってある電子マネー。どこにいくらで、どこならどれが使える?

 

記憶をたどるも、ごちゃごちゃとして考えるのすらイヤになってくる。なに、これは!

 

こっちに何千円、こっちに何千円、ここには何千円。いざ払おうと思ったらひとつでは足りずにまたチャージとか、面倒なこと極まりない!

 

 

いや、わかってる。使い始めたのは私だ。だから私が悪い。けどもうちょっと、互換性に優れるとか、一つにまとめて管理できるとか、できないものか。今の世の中、技術的に不可能なわけではないのでしょう、と思ってしまう。

 

なんとかしよう。

 

整理をすべく、アプリの削除や解約を試みるも、一度チャージしたものは払い戻しできないけどいいのかって注意書きが出て来たり、千円ちょっとの残額に対し数百円の手数料がかかるとか、どうしようかなって思わせるものばかり。

 

 

ああ、もうどうしたらいいの!

 

モヤっとするけれど、わかっている。やたらに増やした自分のせいなのだ。

 

すぐにでも片を付けたいところだが、これはどうしようもないのだと学ぶ。こうなったら一つずつ、できるだけギリギリまで使用して、そのあとで眠っていてもらうしかない。これも断捨離修行だと心を決めた。しばらくのあいだ、レジに直行する前に、今回はいくらで、ここではどれが使えて、と、きっちり計算をして買い物をすることにする。

 

どうかどこぞのお店でなにやら立ち止まってブツブツ言っている私を見かけたとしても、そっとしておいていただきたい。

 

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「気付いたら竿竹屋になっていた」
バイトの面接に行った。そしたらなぜか、僕は竿竹屋になっていた

久しぶりに図書館に行った。

 

マスクをつけ始めたころ以来だから、実に半年ぶりくらい。

 

って半年! もう半年も感染予防に努め、行動に気をつけ、外出を控えているのか。

 

ああ、一体いつまで、そう思わずにはいられない。

 


図書館の様子も変わっていた。カウンターにはビニールが張られ、閲覧席のイスが少なくなっている。いつ行っても人がたくさん居る印象の図書館だったけれど、人の姿はほとんど見られなかった。

 

絵本コーナーにお目当ての本を見つけ、借りることにした。大好きだったはずなのに結末が思い出せないで、少し前から読み返したいと思っていた。少し、といっても図書館に来れず諦めていたから、これもけっこう前なのだなぁと思う。

 

「そろそろ更新の時期ですが、今日はお時間ありますか?」

 

図書館員のお姉さんに言われてまたビックリする。

 

「更新があるんですね!」

 

「5年ごとのお誕生日が近づいたタイミングで声をかけさせてもらっています」

 

 

5年!
お誕生日!

 

これまたビックリした。

 

誕生日は10月なので、まだまだ先だと思っていた。そうか、近づいているのか。

 

そして5年。引っ越して来てから5年を超えた、と数日前にも思い出したばかりだった。それでもあらためて5年と聞くとビックリ。不思議な感じがする。

 

申請用紙に住所を書き、ふと、以前の住所が思い出せるか気になった。ええっと、郵便番号は。。。あ、忘れてる。東京都杉並区高円寺南。。。その先は覚えていた。この住所が書かれたカード類は財布の中にはない。家にはなにか残っているだろうか、そんなことを思ったり。簡単な用紙の記入にちょっと時間がかかってしまった。

 

「ではまた5年後のお誕生日に」

 

サラッとあっという間に処理を終わらせる図書館員のお姉さんに、時間の不思議を見た気がした。

 


帰ってから、自分のつぶやきを遡ってみた。

 

7月5日に、私はこんなことをつぶやいた。

 

ここのところ、窓を開けていると潮の香りがすごくって、海の近くに住んでいるんだなぁと不思議に思う。生まれは山国だし、都内ではずっと内側暮らしだったし、自分が海の近くにいるのが不思議。千葉暮らしも五年を超えたというのに。

 

そうなのだ。千葉市民となって5年。潮風がなんとなくベタベタさせる気がするし、駐輪場に留めた自転車はすぐに錆びる。あっという間に5年が経った。

 

そして杉並区の図書カードは見当たらなかった。いつから持っていないのか。返却したのか、処分してしまったのか。まったく記憶にない。

 

それくらい、5年という時間は長くもあるということだ。

 

 

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またもやタイトルを書いていて気づいた。

 

ポイ活の話ではない。ポイント集めも大好きだけれど、今回はちがうポイントの話。

 

重点をおくところ、拾い上げるところ、そういうポイントもだいじだな、と思った話。

 


やりとりをしていて、どうもおかしいと思ってしまう人がいる。

 

会話のなにかに違和感を覚え、なんとなく気になり、最終的に「えええっ?」と驚くような。

 

感じ方はみんなちがうし、だいじなものもちがうから、そういうのが楽しめるときもたくさんあるのだけれど、こと仕事で関わる相手とこうなってしまうとたいへんだ。

 

一生懸命説明しても注目しているポイントがちがうから、一向に話は通じないし、同調できないし、調整できない。やっとなんとか折り合いがついたと思った数日後、いったいどうして、という成果物ができあがったり、できあがらなかったりしてくる。

 

ダメ押しに、なんだかよくわからない点を執拗に謝られ、辟易したり。

 


ケンカをして謝ってさらに怒られること、ケンカして謝られてさらに頭にくることがある。

 

「とりあえずごめん」
「とりあえずってなに?」

「なんだかよくわからないけど、ごめん」
「なんで怒ってるかわからないのに謝ってもしかたないでしょ!」

 

どうにも見当違いのことをを謝られるのはこれに通じると思う。

 

謝るポイントがおかしいと、余計にイライラするのだ。これ以上、怒るまい、怒れまい、と思っていてもイラッとくる。

 
主題の見つけ方、国語で習わなかったのだろうか?
 

いや、習ったけど、たぶん作者とは別の目で見て、別の解釈を見つけちゃうタイプだったのか。

 


今年度から頻繁にやり取りをする相手と私はポイントが合わない。合わないって私が思ってるだけじゃなく、たぶん、相手も思っていることだろう。

 

どちらが正しいか、時と場合によるだろうし、力関係で折れなければならないときもあるだろう。それでもなんとか、大きく揉めずにやっていきたいものだ。

 

ポイントだいじ。

 

日々実感している次第である。

 

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